「かわいいね」と街で子供に声をかけるだけで不審者と思われてしまうことは少なくない。そんな世の中だが、個人を尊重し、他人に干渉しない――そうした社会が築かれていくことが、新たな危険を生むこともある。
思い出すのは、今年8月に大阪・寝屋川市で起きた、中学1年生の男女が殺された事件だ。深夜から明け方にかけて、子供だけで町を歩いていた2人に誰かが声をかけていたら、事件は防ぐことができたのではないかという声があがった。
また、2月に神奈川・川崎市で中学1年生の上村遼太くんが不良グループに川で泳がされ、首を切られて殺害された事件。このときも、地域のコミュニティーが気づいてあげられなかったのか、という疑問が取り沙汰された。
一方で、対照的な報道がある。今年3月、東京都北区で学校帰りの小学生に「さようなら」と声をかけた男性が、不審者として地域の防犯情報を発信する「メールけいしちょう」で配信された。実際は挨拶だけでなく、不審な声かけをしていたともいわれるが、「都内では挨拶しただけで不審者になるのか」「女性と子供は死にかけてて助けを求められても、放置しないと不審者」などと、ネット上で議論をよんだ。
知らない人に声をかけることは、「声かけ事案」と称され、犯罪の前兆段階として扱われるためだが、東京都在住の主婦(64才)も、昔と違って気軽に声はかけられないという。
「公園や道端で、ちょっと挨拶するだけでも不審者なんでしょう? 孫も保育園でそう教えられています。車の近くで遊んでいる子を見かけて、危ないなと思っても、変な目で見られるかと思うと注意できません。寝屋川のように深夜に徘徊していたら心配になるけど、きっとなにもできないですよ」
“少しでも挨拶をしたら顔見知りになってしまうので、子供たちに知らない人と挨拶は絶対にさせない”
“公園で毎日会うからといって、その人と話すと、それ以降「知り合い」になってしまうから、話してはダメ”
高まる私たちの防犯意識と“無関心”は紙一重になっている。それを象徴するのが、昨年、路上で泣いている女の子を通報した男性がTwitterへ投稿した内容だ。