ただその期待は裏切られる。2011年に再度臨んだ夕張市長選の時には、事前調査で優勢が伝えられたものの落選。「バカな市民にはかまっていられない」といい残して夕張を去った。
「父が立候補を続けたのは決して道楽ではない。本気で当選しようと思っていたのは確かです。羽柴を名乗ったのは『自分はまだまだ完成していない』という自戒の念を忘れないため。選挙で当選したら豊臣に変えていたと思います」
しかし肝臓を蝕まれ、2011年の夕張市長選を最後に立候補しなくなる。通算成績は0勝15敗。羽柴氏は病床で前出の元秘書に、「もう一発大きな花火を上げたいなぁ。やっぱり大阪かなぁ」と呟いていたという。だが「豊臣秀吉」となって大阪城の天守閣に上る夢はついに叶わなかった。
※週刊ポスト2015年12月25日号