似鳥は経営コンサルタントの故・渥美俊一を人生の師匠と呼ぶ。渥美は流通黎明期の指導者としてダイエーやジャスコ、イトーヨーカ堂を指導した。
取材後、中内功の年譜を調べて驚いた。中内が天文学的有利子負債を抱えたダイエーを救うため、元日本楽器製造社長の河島博をダイエーの副社長に迎えたのは、65歳のときだった。
だが、河島によって業績がV字型に回復すると、河島に人心が集中するのを警戒した中内は河島を傍系会社に飛ばし、長男の潤を副社長に据え、ダイエーは凋落の一途を辿っていく。
──企業というのは、一寸先は闇です。今、気になる企業はありますか?
似鳥「今ですか。やっぱりユニクロですね。僕は柳井(正)さんとゴルフや食事もします。情報交換もある程度します」
──ユニクロは何がすぐれていると思いますか。
似鳥「何をやるにしても誰よりも早くやりますよね。うちもそうですけど、後じゃだめなんです。必ず先に制する」
──戦争と同じですね。
似鳥「一番先はリスクを伴う。やっぱり怖い。だけど、戦場では自分で戦うしかないんですよ」
そんな勇ましいことを言ったかと思えば、意外な一面もみせる。似鳥は、政治にも積極的に関わり合いを持ち、安倍晋三にも多額の献金をしている。
──どれくらい出しているんですか。500万ぐらい?
似鳥「まあ、それに近い。でも、僕は政党と言うより、日本をよくしてくれる人なら誰でもいいと思っているんです」
こういう台詞をぬけぬけと言うところが、似鳥のしたたかなところであり、食えないところでもある。
取材後、似鳥の『運は創るもの』を改めて読んでみた。漫画ばりの成功譚の連続に、途中で何度も読むのをやめようかと思った。そんな本がベストセラーになったことに、現在の閉塞感とニトリ成長の秘密が隠されている。いま消費者は、中内ダイエーのような「大きな物語」を求めていない。
だからこそ、通俗的なサクセスストーリーと、埒もない親子ゲンカが週刊誌の恰好の話題になる。それを巧みに利用して商売につなげた似鳥という男、予想通りただ者ではなかった。やはり珍姓、奇姓の男には、くれぐれも心してかからなければならない。(文中敬称略)
※SAPIO2016年2月号