当時は、年収1500万円ほどだったという
川原:頑張って返済して、残り5千万円を切りました。繁盛していた頃は今より借金多くて、3億円から5億円くらいありましたが、安心して下さい。「ケセラセラ」で頑張ってますから…(笑い)。なんでんかんでんを閉めた時、なんでんかんでん倒産なんて言われましたが、幸いな事にうちは一度も倒産はしていませんからね。
――ピークの時の年商は、6億円とも言われていましたね。
川原:誰が言ったか? ちょっとオーバーかもしれません。たしかに、本店は一店舗で3億円近い売り上げでした。驚異的な売り上げは10年以上続きましたよ。金沢店もピーク時、1億5千万円ほど売っていましたが、他にも物産店とかイベントとか色々やっていましたから、全ての合計です。店舗は2店舗でした。
――なぜ、そんなに繁盛したのでしょうか?
川原:確かに当時、東京では豚骨ラーメンが珍しかったのは事実です。テレビや雑誌に頻繁に出てるとか、繁盛した要因は色々あります。でも一番は、接客術です。
――稼げる接客のポイントを教えてください。
川原:ぼくはおせっかいすぎるほどの接客をモットーとしています。たとえば、お客様が「ポストどこですか?」って聞いてくるとするでしょ。普通なら場所を教えますよね。ぼくの場合は、出してあげる。貴重な書類なら別ですが、ちょっとしたものなら「出してきますよ」と言って、その場で自転車に乗ってポストまで行きました。お客様の望む事はできる限り協力してきました。
とにかく商売の成功する基本は、人を愛する気持ちと優しさです。優しさも心の底から優しい気持ちをもってなければダメです。あとは、明るくて人なつっこくて親切なら、絶対にそのお店は流行る。でもこんな簡単な事ができない人がほとんどなんです。
――そんな繁盛していた店が、転落してしまった理由は?