話題のタレント 転機一覧

8.6秒バズーカー ムーディ勝山の激励は「仕事もっと減るぞ」
8.6秒バズーカー ムーディ勝山の激励は「仕事もっと減るぞ」
 赤い服に黒いネクタイとサングラスがトレードマーク。リズムネタ「ラッスンゴレライ」で大ブレイクし、2015年にはテレビ出演100本超えを達成した8.6秒バズーカー。しかし翌年には仕事が激減し、昨年のテレビ出演はわずか4回だったという。2人は現在、どんな生活をしているのか、直撃した。――昨年のわずか4回のテレビ出演は、はまやねんさんの“不倫ネタ”がらみだったとか。否定していましたが、実際は?田中:ぼくは疑わしくないと思いますよ。ラブホテルのロビーに9時間いただけですから(笑い)。はまやねん(以下、はま):あのホテルは、ダーツやビリヤードがあって、アミューズメントパークみたいな場所なんですよ。ラブホテルみたいな雰囲気は全く出てないんです。そもそも不倫なんて、絶対にしていません!だから嫁には謝ってないです。やってないのに謝る必要ないでしょ。ちょっと怒ってたけど、説明したらわかってくれました。――お休みの日がけっこう増えたと思いますが…休日の過ごし方は?田中:週3日、休みのときありますからね(苦笑)。ぼくは、子供と過ごすことが多いですね。家族サービスしてます。嫁さんは田舎から出てきているので、普段1人で子供を見てくれている分、ポイント稼ぎしないと(笑い)。 娘は1才3か月になったんですけど、もう、かわいすぎですね。親バカにならんとこ、と思っていたけど、無理でした。家事や育児もやっていますよ。結婚前から、2人でやろうと嫁さんと話していたので。まとまった時間があれば、家族で出かけるようにしています。はま:ぼくは、休日は先輩とご飯に行ったりします。田中:音楽を作るのも楽しい。ネタで使う曲も、ぼくがiPadで作曲してるんですよ。昔からバンドをやっていたりして、音楽が好きなんです。田中:音楽関連でいうと、ぼくは月2回くらいDJをしています。仕事で行くこともありますし、趣味でもやっています。MUSIC CIRCUSってイベントがあって、DJデビューしてみませんか?と誘われたのがきっかけです。 ただ曲を流しているだけではつまらないので、たとえばクマムシさんに『あったかいんだからぁ』を歌ってもらって、それをリミックスして流したり、トレンディエンジェルの斎藤司さんの「ペッ」とか入れて。洋楽とお笑いを融合したものを作っています。――仲がいい芸人さんはいるんですか?田中:トレンディエンジェルの斎藤さんは仲良くしていただいています。バンビーノさん、ピスタチオさんは同じ2015年組。クマムシさんも他事務所ですけど、仲がいいです。はま:ムーディ勝山さんと営業が一緒の時「仕事どう?」って話になって。「ボチボチっすね」と言ったら「これからもっと減るから大丈夫」って、怖すぎる一言。笑うしかできなかった(苦笑)。頑張れよって鼓舞してくれました。  パンサーの向井(慧)さんには、「なんでもチャレンジしたほうがいいんちゃう?」って。まだ5年目だし、自分に何ができるか、まだわかってないときやから、なんでもトライして、ガンガン攻めていった方がいいって、よく言われています。田中:藤崎マーケットさんにはデビューしたての頃、「ネタをつくっときや」とか「漫才やっときや」と言われていました。でも、当時はラッスンしか求められていなかった。ネタ作っても、「ラッスンでお願いします」って制作側に言われて、作る意味ないやんって思ってしまったんですね。「次ないんですか」ってだいぶ後に言われたときには、ラッスン以外なにもなかった。せっかく言ってくれてたのになって思いました。いまだに、(藤崎マーケットの)トキさんは「食われへんくなったら、大阪戻ってこい。いつでも食わしたるから」と言ってくれる、頼もしい先輩です。――今後の目標は?田中:もう一度ブレイクを目指すよりも、ずっとテレビに出ている、おなじみの存在になれたらいいなと思います。はま:生活できるくらいのお金を稼ぎ続けられたらいいなと思います。田中:目標、低いなぁ!(笑い)【8.6秒バズーカー】 ボケ担当のはまやねんと、ネタ作りとツッコミ担当の田中シングルにより、2014年4月に結成しデビュー。リズムネタ「ラッスンゴレライ」で一気にブレイク、2015年の流行語大賞にノミネートされた。
2018.08.19 07:00
NEWSポストセブン
八名信夫 今のドラマに直言「もっと強烈な人間味が出る作品を」
八名信夫 今のドラマに直言「もっと強烈な人間味が出る作品を」
 俳優集団「悪役商会」主宰者で、名悪役として知られる八名信夫(82)。今年9月、監督・脚本・主演を務めた2本目の映画『駄菓子屋小春』が上映される。監督としての思いや、悪役の少なくなった最近のドラマについて語った。――悪役が少ないご時世、八名さんは好々爺のような役もやるように。八名:年齢的なものもあるだろうね。おれらの親分がいないわけです。本当に面白いのは、親分の下の幹部。親分は、金と女と酒の中でうごめいてるわけだから。ところが、その下の幹部は組のために命を張って相手を倒しにいく、気持ちが全然違うんだね。その面白さを出すには、すごみのある親分が必要だけど、おれより年上の役者は少ないでしょ(笑い)。――最近のドラマや映画は、悪役らしい悪役があまり登場しませんね。八名:時代の流れだよね。ドラマにもお笑い芸人やアイドルたちが出演していて、切った張ったの世界はあまり描かれないからね。本物の役者を使った、もっと強烈な人間味が画面に出てくる作品が増えるといいんだけどね。 本当のスターは、そのドラマの中で生まれるわけだよ。「あの脇役の人、すごい演技だね」と言われたら、それがスター。だからドラマによってスターは変わっていかなきゃいけない。――悪役だってスターになれる。八名:もちろん。今の悪役の若手に言いたいのは、「殺されに行くな」ってこと。殺しに行って、逆に殺されちゃうんだよ。そういうところに悪役は気をつけなきゃいけない。高倉健さんに指摘されたよ。「お前、生活が楽になっただろ、役者始めた頃のギラッとした目で立ち向かってくれなきゃ。やりなおせ」って。 そういうことを先輩たちはよくわかっていた。例えば、鶴田浩二さんと殺し合いの撮影をする日は、セットに入っても会話をしなかった。「おはようございます」だけ。今日は殺すんだと気持ちを高めていた。――2016年、初めて監督・脚本・主演を務めた映画『おやじの釜めしと編みかけのセーター』が上映されました。八名:約60年間俳優をしていて、「世の中に役に立ってるのかな」と考えるようになったのは、東日本大震災がきっかけ。悪役商会も何度か被災地にボランティアに行ってるんだけど、その時、10才くらいの子供が言ったんだ。「ぼくは家が流されて、おばあちゃんと妹がまだ見つかっていません。なにもなくなった。ぼくには故郷がありますが、帰れない故郷なんです」。 この言葉に衝撃を受けて、何か役に立ちたいなって。それで故郷の大切さ、家族の絆をテーマに2年がかりで映画を作って、全国27か所を回って無料で上演しました。――今年も9月から、2作目の監督映画『駄菓子屋小春』が公開されます。八名:1作目の映画にボランティアで参加してくれた方の中に、熊本出身者がいました。熊本地震が起きた1か月後、自分が大変な時に、「阿蘇の水はおいしいですよ、これを飲んで映画を完成させてください」と被災地から水を送ってくれたんです。これはたまらなかった。 それから、熊本のために何ができるかなと考えていた。それで、熊本ですべて撮影する映画を製作しようと。子供から年寄りまで現地の人に出演してもらって、熊本でインタビューをして1年くらいかけて本を書いて。そうすれば、ロケ場所も熊本だし、現地にお金が落ちるでしょ。悪役が出ないと面白くないから、災害にあった土地を買い占めようとする地上げ屋を、悪徳商会がやりました。いままで1200回以上、役で死んでるけど、馬から落ちたり、沼で倒れたり、ろくな場所で死んでないんだよね(笑い)。いつか畳の上で死にてえな、と思っているんだけどね。――俳優と監督を両立するのは大変でしたか?八名:監督としてカメラをのぞいてるじゃないですか。撮影終わって役者たちのほうを見たら座るスペースがなぜかあいてる。「なんですき間があるんだよ」と言うと、おれが出るシーンが次にあったらしく「ここは監督が座る所です」って言われたりしてね(笑い)。それに、役に戻るのに時間がかかる。目が監督になるんだね。5分くらい時間をもらって、役者に戻ってから撮影しました。――映画の費用は、すべて八名さんの持ち出しだそうですね。八名:出演者やスタッフのギャラ、宿泊代、交通費、すべて。衣装もテレビ局に行って、安く貸してもらったりしたよ。――これからの活動について教えてください。八名:人生の中で、今が一番充実しています。80年以上生きてきて、額はできているんです。その中に、最後にどんな自分の絵を入れるのか。人生の歩みのようなものを中に入れて、ラストにしたいなという気持ちがあります。これからゆっくり、どういう絵を描くか考えますよ。【八名信夫(やな・のぶお)】1935年8月19日生まれ。岡山市出身。明治大学を中退し、東映フライヤーズ(現日本ハム)に投手として入団。しかし登板中のけがのため3年で引退し、映画俳優となる。1983年、悪役商会を結成。映画出演作は、『網走番外地』『仁義なき戦い』シリーズなど多数。2016年『おやじの釜めしと編みかけのセーター』で監督・脚本・主演を務めた。監督・脚本2作目となる『駄菓子屋小春』の完成無料上映会は9月22日(土)10時、9月24日(月)18時、熊本市電気館にて。以後全国で上映。撮影■浅野剛
2018.08.17 07:00
NEWSポストセブン
8.6秒バズーカー 現在の月収いくら?の質問に明かした金額
8.6秒バズーカー 現在の月収いくら?の質問に明かした金額
 2014年にデビューし、史上最速となる結成11か月で「なんばグランド花月」での初単独ライブを成功させ、大ブレイクを果たした8.6秒バズーカー。しかし、翌年後半から失速。現在、テレビで見ることはほとんどない…。今、どんな活動をしているのだろうか? 1人500万円だったという最高月収は、現在どうなっているのか? 本人たちを直撃した。――デビュー時は1日に21本の仕事をこなす多忙なスケジュールでしたが、現在は?はまやねん(以下、はま):酷なことを聞きますね…。1日1本くらいです。田中:オフが3日ある週もあります。昨年のテレビ出演は4回。しかもはまの“不倫ネタ”(苦笑)。ほそぼそですが、頑張ってますよ! なんでも聞いてください!――では早速。今年1月、YouTubeに“反日疑惑”に反論する動画を投稿しました。正直、“今さら”という感じがありましたけど…。田中:噂が出始めた当時は、ぼくたちが反応すると余計おもしろがるだろうから、否定も肯定もしないスタンスだったんです。根も葉もない噂だし、そのうち沈静化するだろうと。それが裏目に出て、どんどんエスカレートしてしまい、ぼくらが出演した番組のスポンサーにクレームが入ったりして、テレビ局にご迷惑をお掛けしてしまいました。はま:番組のプロデューサーには、事実どうこうじゃなく「騒動が収まるまで様子を見よう」と言われました。田中:昨年、YouTubeに「干された芸人まとめ動画」が上がったんです。それがものすごい再生数で、1位になりました。これ以上誤解が広がってはいけないので、きちんと説明しておこうと。はま:視聴者の反応としては、反論が遅すぎて「もうええねん」って空気感でしたけどね(苦笑)。――『遂に真相をお話します。。。』とタイトルがついている反論動画、テレビのバラエティーのような構成でしたね。田中:実は、とある番組で、炎上した理由や反論を述べるはずだったんです。2016年の終わりには収録済みで、オンエア待ちだったんですけど、放送できなくなってしまったらしく…。だから番組のADさんに許可をもらって、同じ台本を使いました。スタッフの方がリサーチしてくれたので、ぼくらが知らなかったこともあったんです。はま:噂を放置した結果、炎上してネットに書きこまれた総数、約26万件とか。田中:本当に、時代って感じですよね。ぼくらのブレイクは、深夜番組に出演した時の動画が、YouTubeで1000万回再生されたことがきっかけです。そして、ネットの噂の影響で一気に人気が落ちた。今の時代の“上がり下がり”を、両方感じました。――ところで、最高月収は1人500万円だったそうですが、今は?田中:直近の月収で言うと、ぼくは70万円、30万円、50万円でしたね。――案外、多いですね。田中:もっと悲しいやつのほうがよかったですか?(笑い) ぼくらを叩いてるやつよりもらってるかも(笑い)。はま:やめろ、また別の意味で炎上するから。田中:テレビの仕事は減っても、営業は全国に行ってますから。結婚式の余興もするし、ショッピングセンターとか、劇場とか。――営業ではラッスンゴレライもやっているんですか?田中:もちろん、大事なネタですから。営業や一見のお客さんが多そうな劇場では、手短にやっています。はま:自己紹介的に(笑い)。――ブレイク時と生活が変わったことは?はま:タクシーに乗らなくなりました。以前は、仕事の移動で、自腹でガンガン乗ってたけど。事務所に領収書を渡しても戻ってこない(笑い)。今は時間調べて、電車で移動しています。田中:貯金を覚えましたね。ブレイク当時は、1か月に何百万円も使ってたので。服とか時計ですね。今はめてる時計は160万円で、IWC。大学時代から欲しかったものです。あと、女の子と飲みに行ったり(笑い)。はま:ぼくは貯金してましたよ。ギャラは全部、一旦親に預けるんです。藤崎マーケットのトキさんに言われたんですけど、「お前は絶対お金をいっぱい使ってしまうから、親を経由しろ」って。ギャラを全部親に預けて、親から毎月30万円もらって、その金で暮らしてました。田中:それは偉いわ。はま:それまで金がなかったので、30万円でも大金やって。そのとき家賃7万円だったので、あと23万円もあるから、なんでもできるやんって。田中:ぼくはNSCのときには、スロットで貯めた1000万円があったんです。ブレイク前の話ですが、人生のうち1年くらいなら本気で頑張れるのかなって思って、無理やったら芸人になるのをあきらめようと思ってました。だからバイトもせず、芸のことばかり考えていました。はま:ぼくはNSC時代、居酒屋、深夜のビデオの買い取り、コンビニでバイトしていました。田中:ぼくがネタ作ってる間に、そんなにやってたんだ(笑い)。――今、ラッスンゴレライに変わる新ネタはあるんですか?田中:新ネタをして、見る目を変えてもらわんとな、という時期なので、新ネタ単独ライブを隔月でやらせていただいてます。ラッスン以外に、これというメインのネタはまだありませんが、どんどん新ネタを作っていますよ。はま:次の代表作を模索中です!【8.6秒バズーカー】 ボケ担当のはまやねんと、ネタ作りとツッコミ担当の田中シングルにより、2014年4月に結成しデビュー。リズムネタ「ラッスンゴレライ」で一気にブレイク、2015年の流行語大賞にノミネートされた。
2018.08.16 07:00
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八名信夫が語る悪役論「悪役が下手なドラマはつまらない」
八名信夫が語る悪役論「悪役が下手なドラマはつまらない」
 泣く子も黙るこわもてで、俳優集団「悪役商会」主宰者として知られる八名信夫(82)。プロ野球の投手として活躍後、俳優に転身。映画『網走番外地』『仁義なき戦い』などに出演し、名悪役として確固たる地位を築いてきた。そんな八名が考える悪役としての美学とは――。――そもそもなぜ悪役俳優になったのでしょうか。八名:おれは東映フライヤーズ(現日本ハム)に投手として入団したんだけど、試合中に腰を骨折してね、現役を引退せざるを得なかったんだよ。そうしたら、東映本社から「君は、映画俳優として契約するように。大川博社長の命令だ」と言われた。 映画俳優が何かもわからず、おれは「はい」と答えた。そういう時代だったからな。 おれは身長が182cmあって大きいから、主役より目立たないように、いつも遠くに追いやられてさ、エキストラと扱いが変わらないわけです。ひたすら歩かされるし、カメラに写らないし、おもしろくねえな、辞めようかなと思ったんだけど、引きとめられていた。 先輩俳優を見ているうちに、気づいたんだよ。悪役だったら、主人公の近くで切られるから、カメラに写るなって。俳優をするなら、画面に映らないと意味がないからね。それで監督に「小さいやつよりも、体格がいいおれが倒れたらけむりがたつから、迫力があっていいだろう」と談判しに行ったの。そうしたら、「お前の言うことも一理ある、こっち来て死ね」と(笑い)。これが悪役の始まり。――悪役は八名さんに向いていた?八名:主役は喜んだね。小さいやつを倒したって、主役がいじめているように見えるから、大きいのを倒す方がいいと(笑い)。野球をやっていたおかげで運動神経があるから、主役にけがをさせなかったのも評価されたよ。 立ち回りで切り合いをするとき殺陣の手を間違えるとしたら、だいたい主役。主役が手を間違っても、うまいこと受けたりすることが悪役には大切なんだよ。それが認められたんだな。「八名はおれにけがをさせんぞ」「安心して立ち回りができる」と、鶴田浩二さん、若山富三郎さん、高倉健さん、そういう人たちに指名されるようになった。それから認められるようになったね。 主役を引き立てるには悪役が重要だって、悪役を大切にしてくれるようになった。ドラマというのは悪役によって、おもしろくなるかが大きく左右されるんです。悪役が下手なら、そのドラマはつまらなくなる。「高倉健さんがかっこいいのは、おれがちゃんとした芝居をしているからだ」と自分に言っていたね(笑い)。――主役にない、悪役のいいところはどこですか?八名:悪役の方が、収入がいいんだな(笑い)。極端な話をすると、2時間出ずっぱりでも、1分で死んでも、ギャラは一緒。悪役で早く死んでいった方が、次の仕事ができる。当時はテレビよりも映画の時代だったから、1週間に4本の映画を作らなきゃいけなかった。今じゃ考えられないよね。何百人もいた俳優はフル回転だよ。だから、はよ死んで、次の仕事に行かなきゃ間に合わない。 俳優になりたてのころは、「こんな金じゃ食っていけねえな」と思ったんだよ。プロ野球選手時代の50分の1しか収入がないからね。朝から晩まで働いても、1日400円くらいしかくれないんだから(編集部注:1950年後半の大学卒初任給は約9600円)。――悪役として心がけていたことはありますか?八名:ショーン・コネリーとかジャック・パランス、カーク・ダグラスとか、そういう人たちが演じる悪役で勉強したよ。ギャング映画の場合は、サングラスや葉巻に帽子、こういう象徴的なものは人よりいいものを買った。それでいて、主役より目立ってはいけない。そういうのは心得なきゃね、悪役は。 任侠ものの場合は竹光でやることが多いけど、軽いから踊りみたいになってしまう。それを鶴田浩二さんも指摘していて、「そこに重みがない、殺意がない、怖さがない」ってよく言っていたよ。ジュラルミンの刀だと重みがあっていいんだよね。ジュラルミンだと、刀と刀を合わせた時に火花が散るように細工できて、迫力が増すのもいい。――悪役らしい演技のコツを教えてください。八名:葉巻の煙の中に殺意が出てこなきゃいけない。わざと顔を映さないの。監督に「煙だけ撮ってくれ」って、わざと後ろから映すの。顔が映ると、お客さんは顔を見てしまうからね。葉巻の煙があがる、なにかある、というのが画面に出てくると、怖い。俳優を30年40年とやっていると、監督から「八名君、ここは君に任せるから、 自由にやってみてよ」とか「ここは、こうやってもいいかな?」と話せることもあってね。 殺し屋が酒を飲むんじゃなく牛乳を飲んでる、あるいは棒つきの飴をなめてる。異常だなあいつは、というのがちらっと出ると、面白いよね。 目の動きにもコツがある。正面から相手を見たら、悪役は面白くない。若山富三郎さんに「お前の体があったら相当強烈なものが出るから、あとは目だよ。下から見たら、圧力がものすごくかかって、怖さが全然違う」って教わったんだ。あとは、照明で顔の半分、影にしてもらったりね。――悪役は私生活でも役立つことはありますか?八名:優先席に青年たちが座っていて、おばあちゃんが立ってる時は、「お前ら立て」って、声を低くして言うの。青年が立ったら背が高くて、こっちも半分怖いんだよ。こういう時は悪役の顔が利く。素直に引いてくれてよかったけどね(笑い)。 最近は、知らないおじさんおばさんが子供たちをしかることがなくなったね。おれが子供のころは、悪いことをしたら、大人がげんこつでしかってくれた。でも今は、他人の子は他人、って感じで、これはよくないね。【八名信夫(やな・のぶお)】1935年8月19日生まれ。岡山市出身。明治大学を中退し、東映フライヤーズ(現日本ハム)に投手として入団。しかし登板中のけがのため3年で引退し、映画俳優となる。1983年、悪役商会を結成。映画出演作は、『網走番外地』『仁義なき戦い』シリーズなど多数。2016年『おやじの釜めしと編みかけのセーター』で監督・脚本・主演を務めた。監督・脚本2作目となる『駄菓子屋小春』の完成無料上映会が9月22日(土)10時、9月24日(月)18時、熊本市電気館にて。以後全国で上映。撮影■浅野剛
2018.08.15 07:00
NEWSポストセブン
フリー素材アイドルMika+Rika 使ってもらうための工夫は
フリー素材アイドルMika+Rika 使ってもらうための工夫は
 スマートフォンのCMでおなじみの双子、Mika+Rika。彼女たちは、肖像権・著作権を放棄し、自分達の写真や動画をWEB上に公開している、フリー素材アイドルだ。そもそもは、ヒップホップユニットの活動を広げるためのプロモーションだったというフリー素材活動。CM出演の影響や、今後の夢などを、2人に話してもらった。――スマートフォンのCMで、一気に有名になりましたね。Mika:フリー素材アイドルを始めたことで、テレビCMはあきらめていたんです。フリー素材だと、色んな広告に使ってもらえます。でもCMって、同じジャンルの仕事と被っちゃいけないじゃないですか。だからCMの仕事が決まったときは驚きました。Rika:フリー素材を始めて2年、CMをいただけて嬉しかったです。2年間無料でやってきたことが報われたようで。――このCMに出演したことで、変化は?Rika:知ってくれる方の幅が広がったので、子供からもメールが届くようになりました。「応援しています」とか「Xperiaにしました」とか。Mika:両親も喜んでいましたね。ヒップホップを始めることは、両親は反対だったんです。だから「この日ライブをやるよ」と伝えても無関心でした。でもCMに出るようになってからは、「今日も見たよ」とか連絡がくるんです(笑い)。両親は親戚や友達に、私たちが芸能活動をしていることを隠していたんですけど、「ついに言っちゃったよ」って報告がありました(笑い)。Rika:全然連絡を取っていなかった昔の友達から、突然メールが来たり。Mika:有名になると友達が増えるって、よく芸能人の方が言ってるじゃないですか。うそばっかり、と思っていたんですけど、本当に連絡がくるんですよ。私はあまり友達が多い方じゃないので嬉しいです(笑い)。Rika:普段歩いていても、CM前は「無料の双子じゃない?」とか「フリー素材の子じゃない?」っていう言われ方だったんですけど、最近は「Mika+Rikaだ」って名前を言ってもらえるようになりました。――フリー素材を撮影するときに大切にしていることは?Rika:いろんな人が使いやすいように、バリエーション豊かにしています。指をさしている写真も、右に向けたり、上に向けたり、色んな向きにして。Mika:文字などを合成することを想定しているので、手を出すにしても、体から離し過ぎちゃうと使いづらいんですよね。だからコンパクトにしています。あとは、広告に使ってもらえたらいいなと思っていたので、いろんなCMや広告を研究して、腕時計なら、顔の前に腕を出したり、画面の邪魔にならない白い衣装を着たりして。柄物はあまり着ませんね。――写真集やCDも無料で配布していましたね。Mika:サイトの時と同じで、写真集もクラウドファンディングで資金を集めました。60万円集まりました。サイトだけではネット業界にしか広がらないと感じていたんです。写真集にすることで、パソコンを使わない人にも広げたいと思って。Rika:60万円、全て印刷代ですね。撮影は「面白いね」と言って集まってくださった方々が無料で手伝ってくれました。2000部くらい刷って、12日で完売しました。Mika:渋谷TSUTAYAだけに置いたんです。0円ですけど、レジを通さなきゃいけない仕組みにして、1人1部とお願いしました。Rika:袋とじもあって、全裸で撮影したものもあります。2人で白いボードを実際に持って、写っちゃいけないところを隠しながら(笑い)。Mika:初めて結構ギリギリまで肌を出した撮影でした。Rika:ボードがずれないように気をつけていたんですけど、私が髪を直していてMikaがボード持っている時に、Mikaボード落としちゃって。丸見えになる事故が何度かありました(苦笑)。――現在の活動は?Mika:基本はフリー素材アイドルとしてやっているのと、ヒップホップのライブを、2週間に1回。それからCM撮影などもありますね。――お2人の見分け方を教えてください。Rika:顔の輪郭が違う。Mikaはエラがあるので。Mika:失礼なんですけど(苦笑)。私から言わせれば、Rikaは顎が短いです。Rika:そんなに短くないよ!――ヒップホップでデビューする前、2008年の映画『ブリュレ』に主演していますね。Mika:演技は楽しいなと思ってやっていたんですけど、その頃は芸能界でやっていこうとは思っていませんでした。Rika:学生だったし、オーディションに受かって出演したので、芸能事務所に入ったわけじゃなかったんですよ。Mika:映画を公開するまで2年くらいかかったんですけど、やっと公開した頃に、監督さんが急死してしまったんです。数年経って、当時のスタッフが集まって監督さんのお墓参りをしたとき、「私、なにしてるんだろう」って思ったんですね。 監督は私たちに、女優として成長してほしいと言っていたんです。でもお墓参りをした時、私はOLでした。監督の言葉を思い出して、芸能活動をすれば、この映画がもっと周知されるんじゃないかなって感覚にもなったりして。それで会社を辞めて、ちゃんと芸能界に入って、監督さんに頑張っている姿を見せたいという思いがありました。だから、いつかまた、女優もやりたいと思っています。――今後の夢は?Mika:フリー素材アイドルとして名前を知ってもらえつつあるんですけど、歌のほうでも、北海道とか沖縄とか、もっと遠くに呼んでもらえるようになりたいです。Rika:今は無料の双子をやっているのですが、 “有料の女”を目指します!【Mika+Rika(ミカ・リカ)】東京都出身。一卵性双生児の姉妹で構成されるヒップホップユニット。2013年『FUNKY OL ~仕事したくないよ~』でデビュー。2014年11月、肖像権・著作権を放棄し、自由に写真を利用できる素材配布サイト『私たち無料です』をスタート。フリー素材アイドルとして話題を集めている。4月25日、shibuya eggman(渋谷区)にてワンマンライブ開催予定。撮影■浅野剛
2017.04.09 16:00
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フリー素材アイドルMika+Rikaが語る「無料」で稼げるワケ
フリー素材アイドルMika+Rikaが語る「無料」で稼げるワケ
 細く長い手足、色白の肌に大きな瞳。この美人双子は、フリー素材アイドルとして話題を集めているMika+Rikaだ。「私たち、無料です。」というキャッチコピーで、肖像権・著作権を放棄し、自分達の写真や動画をWEB上に公開している2人に、フリー素材アイドルを始めることになった経緯や、苦労話を聞いた。──フリー素材アイドルになったきっかけは?Mika:私たちは元々、ヒップホップユニットとして活動していたんですけど、ライブハウスで歌っていても、なかなか世間に広がらなかったんです。その頃の私たちのアーティスト写真がキャラクターのような雰囲気で、それがヒントになり、商標使用料が無料のくまモンが頭に浮びました。無料にすれば、私たちも広がっていくんじゃないかという発想から、フリー素材アイドルが生まれました。Rika:初めは不安が大きかったです。私たちの写真や動画の著作権を完全に放棄して、無料でサイトにアップしたら、どんな使われ方するんだろうって。でも斬新な考え方だし、面白そうだな、やってみようって、思い切りました。Mika:元々私たちはOLで、脱サラしているので、これ以上捨てるものはないなと思って。どんどん貯金もなくなっていくし(苦笑)。この際、著作権を捨てたっていいんじゃないかって。──フリー素材アイドルの反響は大きかったそうですね。Rika:2014年にフリー素材のサイトをオープンしたのですが、初日にすごくアクセスがあって、サイトが落ちちゃいました。Mika:ネットだから、徐々に口コミで広がっていく感じかなって、長い目で見ようと思っていたんですよ。でも初日にサイトがダウンしたので、驚きました。Rika:ダウンロード数は1か月で50万ダウンロード。正直、びっくりしました。こんなに無料素材を求めている人がいたんだって。そのほとんどがクリエイティブ系、広告会社さんとかIT系の方々でした。Mika:1000点以上撮影して、サイトオープン時に、ほぼすべての写真をアップしました。──使用料無料のサイトなのに、衣装や撮影などの準備にお金がかかったのでは?Mika:クラウドファンディングで資金を集めました。20万円を目標にして、集まったのが30万円だったんです。でもそれでは、実際には足りていないんですよ。この企画が面白いと思ってくださったカメラマンさんなどが、ボランティアで手伝ってくださって、サイトができました。──サイトは大盛況。それは収入につながっている?Mika:最初は収入になりませんでした。Rika:でもだんだん、それまでになかった、ラジオの出演依頼や雑誌の取材などをいただけるようになりました。高額なギャラをもらうわけじゃないんですけど、フリー素材にしたことによって広がりましたね。──2013年にヒップホップでデビューした頃の収入は?Rika:当時は、自転車操業でした。ライブの物販で作ったお金で、また次のものを作るみたいな状況でした。Mika:ライブは、出演料をもらわないことも多かったので。──収入が安定しないなか、脱OLは勇気がいったでしょうね。Mika:Rikaはずるいんですよ。私はデビューしたり事務所に入る前に会社を辞めたので、脱サラの怖さを知ってるんです。そこから事務所探しをしたのに、Rikaは私が入った事務所にきたから、超楽ですよ。Rika:いやいや。私も会社を辞めた時はフリー素材を始める前だったので、ヤバイ状態でしたよ。それにMikaが仕事を辞めて、1年半くらいは食事をおごってあげたり、服も2つ買ってきてあげたりしていたんです。今となっては、「後からでずるい」とか言われて(苦笑)。Mika:Rikaは長く働いてたから退職金がたくさん出たけど、私は短かったから退職金0でした。歌手デビューしたことを後悔したことはないけど、会社を辞めたことは60万回くらい後悔しました。──フリー素材アイドルとして、苦労していることは?Mika:やっぱり金銭的なことですね。写真を使われても無料だし、他の仕事も無料で受けたりしてたので。Rika:嬉しい使われ方と、これはちょっと、と思う使われ方がありますね。使ってもらえるだけで嬉しいと思いますけど、慣れない時はグサッとくることがありました。──どんな使われ方をされて、グサッときた?Rika:人権を貶すような使い方はやめてね、という利用規約があるんですけど、実際にそういう使い方がありました。たとえば私の顔に、誰かわからない女性の体が合成されていたんです。胸とお尻がすっごい大きいんですよ。きれいに合成されていたので、これじゃ勘違いする人がいるだろうなって。Mika:本人よりスタイルがいいんですよ。「良かったじゃん」って、私は言いましたけど(笑い)。Rika:そうかもしれないけど、勘違いされたらイヤじゃん。Mika:嬉しい部分もありますけどね。そういう写真こそ男性が目にしたりするので、広がるなって思います。Rika頑張ってって感じで。Rika:他人事だと思って(苦笑)。Mika:私も「えっ」と思ったことがあります。Twitter検索をしていたら、私の顔のエラがなければもっといいんだけどな、ってつぶやいている人がいたんです。それはどうかと思ったんですけど、「どうぞ削ってください」ってリプライしました。そうしたら本当に画像を加工して、「できました」って完成画像を送ってきたんです。私的には、元のほうが良かったと思うんですけど。Rika:元よりきれいになってたよ(笑い)。──嬉しかった使われ方は?Rika:株式会社ヒットさんの渋谷ハチ公前と大阪の道頓堀にあるデジタルサイネージで、私たちのフリー素材を使った大きな広告を流していただいたことです。。渋谷は、横幅30メートルでバスケットコートくらいの大きさ、道頓堀はウルトラマンくらいの大きさらしいです(笑い)。こんなに巨大な使わかたは初めてだったので、嬉しかったです。Mika:そこから動画の仕事にもつながったので、それも嬉しかったですね。──今は、生活できるくらいの稼ぎになった?Mika:以前とはだいぶ変わってきました。Rika:でも、まだフリー素材アイドルとしてやっているので、あまり高い設定にはしていません。フリー素材アイドルとしてやっているうちは、広げる時期なので。Mika:これからも、顔が広がってくれたらいいなと思います。フリー素材アイドル、頑張ります!【Mika+Rika(ミカ・リカ)】東京都出身。一卵性双生児の姉妹で構成されるヒップホップユニット。2013年『FUNKY OL ~仕事したくないよ~』でデビュー。2014年11月、肖像権・著作権を放棄し、自由に写真を利用できる素材配布サイト『私たち無料です』をスタート。フリー素材アイドルとして話題を集めている。4月25日、shibuya eggman(渋谷区)にてワンマンライブ開催予定。撮影■浅野剛
2017.04.01 07:00
NEWSポストセブン
ロケバス運転手になった天津木村 ウィッキーさん乗せて感激 
ロケバス運転手になった天津木村 ウィッキーさん乗せて感激 
「吟じますっ」のセリフで始まる、詩吟のリズムにのせて下ネタを絡ませた芸『エロ詩吟』でブレークしたお笑いコンビ天津の木村卓寛(40才)。仕事が激減した今は、芸人を続けながら、副業としてロケバスの運転手をしている。副業のエピソード、そして意外に思いやりに満ちていた(?)エロ詩吟の真意について、木村が語った。――そもそもなぜロケバスの運転手に?木村:家族を養うためです。芸人だけで食べられたらいいんですけど、なかなかそうもいかないので。アルバイト的なことをしないといけないとなった時に、ぼくは車の運転が好きなので、それを職業にすればいいんだ、と思ったんです。週1くらいでロケバスを運転しています。 もうひとつが、ムーディ勝山って後輩芸人がいて、一発屋芸人としてはぼくより先輩なんですけど(笑い)。ロケの仕事が減ったムーディは、「ロケバスの運転手になればロケに行ける」ということで、バスの免許を2年ぐらい前に取ったんです。それを聞いて、ええなと思って、後輩の真似をしたという(笑い)。ぼくは今年4月に免許を取りました。――合宿で免許を取られたそうですね。木村:秋田県大館市の免許センターに行きました。3月やったので、雪が残っていました。高校卒業したての子が多くて、誰とも友達になれず(苦笑)。ぼくは2種免許を取りに行ったんですけど、そっちはオジサンばっかりで、オジサン5人衆で行動していました。天津木村だと気づいてもらえなくて、誰とも話していなかったんです。4、5日目でやっと1人気づいて、話しかけてもらえましたね(苦笑)。でもその人らと飲みに行くのもちょっとちゃう感じなので、夜はひとりでスナック街に入り浸ってました。 合格発表の最終日、30人ぐらいいる教室で、「なんと全員合格です、おめでとうございます。あと、この教室には天津の木村さんがいます」って教官に“つけたし”で言われて、教室に変な空気が流れたんです。でも、その後「写真撮らせてください」みたいになったので、それから大館が大好きになりました(笑い)。――ロケバスには、どんな芸能人を乗せますか?木村:バラエティーのロケが多いので、芸人が多いですね。たとえばカズレーザーは初めてロケバスで会うたんです。その日は奥多摩に行く2時間ぐらいの峠道で、みんな車酔いしてるんです。カズレーザーも青い顔をしていたんですけど、ぼくに気づいてくれて、現地に着いてからあいさつに来てくれたんですよね。 帰りも同じ道なので、向こうは青くなって今にも吐きそうな顔をしながら、でも先輩が運転してくれてるからって、キリッとしていました。めっちゃええ子なのに、最悪の出会いやなと(苦笑)。――乗せて嬉しかった芸能人は?木村:子供の頃、『ズームイン!!朝!』(日本テレビ系)などで見ていたアントン・ウィッキーさんです。ウィッキーさんの奥さんがマネジャーなので、一緒に乗車されました。サンドウィッチが支給されて、ウィッキーさんが「ひとつ丸々食べられないよ」と言うと、奥さんが「いいよ、私が半分食べるから」「ありがとうね」という会話を、10分くらいずっとしてるんですよ。微笑ましい会話ですけど、はよわけて食べたらええのに、って思いました(笑い)。――今でもエロ詩吟をしていますが、“封印する”と以前話してませんでしたっけ?木村:よく勘違いされるんですけど、TPOに合わせた下ネタを言わないとね、という話を『しくじり先生 俺みたいになるな!!』(テレビ朝日系)でしたんです。――TPOに合わせた下ネタ?木村:たとえばファミリー向けなら、子供も笑える「ちんちん、おっぱい」を柔らかく伝えます。大人も笑いますけどね。でも、女性は嫌がる人もいるから、考えないといけません。――エロ詩吟で意識していることは?木村:エロ詩吟って、男の可愛げとか優しさとか、女性への愛を表しているんです。『しくじり先生』のとき、ハードなネタもやったんです。もちろんカットされて放送されていませんけど。あのときいてはった関根勤さんが、真意をつかみとってくれはって、全部ネタの解説をしてくれたんですけど、全部合ってるんですよ。さすがやなって。――英語エロ詩吟を始めたのはなぜ?木村:ピコ太郎さんに憧れて。……と言いたいんですけど、それより前にやってるんですよね(笑い)。英語が得意というわけじゃないんですけど、「海外の人にエロ詩吟はウケるよ」とよく言われていたので、昨年からYouTubeで始めたんです。 ピコ太郎さんは視聴回数が数億回とかでしょ。ぼくは50回ぐらい。ジャスティン・ビーバーさんに「Heyジャスティン、PPAPぐらい面白い動画がここにあるよ」とぼくの動画を送ったんですけど、ジャスティンがリツイートしてくれるわけもなく……。ビコ太郎さんにあやかりたい!――今後の目標を教えてください。木村:エロ詩吟は60才まではやりたいんです。60才のおっさんが言うエロ詩吟って、絶対面白いと思うんです。その頃は“現役”じゃないかもしれないのに、「エロ詩吟をして、あほちゃうか」と言われる芸人になりたいです。もちろんコンビですから、コンビとしても売れて、笑ってもらいたいというのがいちばんですけど。【木村卓寛(きむらたくひろ)】1976年 5月 22日生まれ。兵庫県出身。1999年お笑いコンビ天津を結成。2008年に『エロ詩吟』ネタで人気を博し、著書は10万部超のベストセラーとなる。現在はコンビ、ピン活動のほか、ロケバス運転手も行っている。
2017.02.28 07:00
NEWSポストセブン
天津木村 おっさんレンタルの副業で登録名はアルトオモイマス
天津木村 おっさんレンタルの副業で登録名はアルトオモイマス
 2008年に詩吟と下ネタを融合させた『エロ詩吟』でブレークしたお笑いコンビ天津の木村卓寛(40才)。しかし、その後テレビ出演は激減し、ロケバスの運転手などいくつかの副業を始めていた。そのうちのひとつが、1時間1000円で“おっさん”を借りられる“おっさんレンタル”だ。この仕事の知られざる秘話について木村本人が明かした。 ――どんな人が利用しているのですか?木村:3割は男性です。就職が決まって卒業を控えている大学生に、「社会に出ていく大人としてのアドバイスをください」と言われて、ファミレスでランチしたこともあります。食費とか交通費は向こう持ちなので、注文をしにくいんです。相手は大学生やし、一番安いサービスランチにしました。でも、どうしてもドリンクバーをつけたくて、モジモジしていたら、大学生がぼくの肩をポンと叩いて、「頼んでいいですよ」って(笑い)。――割りが良かった回は?木村:時給1000円ですけど、かける人数分なんです。花見の飲み物受け渡し係のときは20人いたので、1時間2万円になりますよね。これはラッキーでした。ネタはやらないと決めているのですが、若干のサービスで「ビールまだありますか?」「あると思います!」ということは、やったりしました(笑い)。――印象的な依頼はありましたか?木村:40代の女性で、結婚はしているけど、思い出に残るようなことが何もないと。一生思い出に残るような写真を1枚撮りたいということで、ぼくと恋人風の写真を撮った、ということがありました。庭園をバックにして、カジュアルだけどこぎれいな格好をして撮りました。喜んでくださって「一生大切にします」と言ってくれはりました。――女性にお誘いを受けることもあったのでは?木村:うっすら誘われたことはあります。アラフィフのきれいな方で、昼間2時間お茶をして、帰ろうとなった時「もっといやらしいサービスがあるのかと思った」って言われました。股間は熱くなりましたけど、叩いて鎮めて帰りました(笑い)。――おっさんレンタルのホームページには、名前や顔も出していた?木村:名前は伏せようと思って、“アルトオモイマス”という名前でやっていました。写真は4枚載せられて、扉と2枚目は後姿、3枚目4枚目は思い切り顔を出ていたので、7割ぐらいはぼくだとわかっての依頼でした。 でも一期一会と決めていたので、1人1回のみ。リピートしたいという方もいましたけど、お断りしました。お金儲けもしたいけど、いろんな人と会って喋りたいから始めたんです。一期一会だと、普段友達にも言えないことを結構おっしゃるんですよ。それが面白くて。 たとえば、不倫してた、してる、したいというかたは多かったです。世の中って、ベッキーさんのことをすごく叩いていたけど、実はしてる人も叩いていたんだろうなって思いました。みんなが叩いてるから、自分もしてるけど叩こう、みたいな。おっさんレンタルでは、いろんなことを学びましたね。――木村さんのアドバイスでうまくいきましたという報告はあった?木村:たまにありました。無趣味で友達がいないという話をしはる人に、ぼくの山登りの師匠の、68才のベンさんを紹介したら「ベンさんと山に登って、山の魅力に目覚めました。友達ができました!」って、明るいメールがきまして、嬉しかったですね。 副業ですけど、ぼくを借りてくれた人には、絶対に1つか2つプラスで帰ってほしいと思っていました。たとえば「彼氏にお金を振り込んでくれって言われて…」みたいな、負のオーラ満載の女性やったんですけど、なんとかこの人笑わせたいと、1時間一生懸命話したら、笑顔で帰っていきました。――使命感みたいなものも?木村:そうですね。そういうのもあって、もっと続けたかったんですけど、会費がね…。この仕事って1年契約なんです。年会費が13万円で、昨年10月に更新してくださいと言われたんですけど、会費を回収するために頑張らなあかんというのは本末転倒じゃないですか。それで、もういいかなと思って辞めました。13万円分の回収はできましたけどね。――これから、やりたい副業はありますか?木村:めっちゃ探してるんですよ。副業じゃなくても、楽しいなと思えること。最近、ウクレレを買ったんです。ウクレレで漫談とかするかもしれないです。独学でDVD買って練習しています。弾けるのはまだ、『大きな古時計』ぐらいですけどね。――副業をすることについて、奥さんの反応は?木村:最初は反対でした。おっさんレンタルも、「人と会うんやろ、危ないやん」という心配ですね。ぼくの子供は5才と3才の女の子ですけど、最近“お笑い”という言葉を覚えたので、「今日、お父さんお笑いの仕事やで」と言ったら、「じゃあ、お笑いキメてきてね」という謎の言葉で送り出されました(笑い)。――悩んだとき、相談している先輩芸人はいますか?木村:ちょいちょい東野幸治さんに相談します。いいときは「ええんちゃう?」、そうじゃないときは「もう、ええんちゃう?」の2つしかないので、答えが明快なんです。「おっさんレンタルをもう1年やろうかと思ってるんですけど」、と言った時は、「もう、ええんちゃう?」だったので、それも辞める理由になりました(笑い)。【木村卓寛(きむらたくひろ)】1976年 5月 22日生まれ。兵庫県出身。1999年お笑いコンビ天津を結成。2008年に『エロ詩吟』ネタで人気を博し、著書は10万部超のベストセラーとなる。現在はコンビ、ピン活動のほか、ロケバス運転手も行っている。
2017.02.19 07:00
NEWSポストセブン
嶋大輔 芸能界復帰し「何が男の勲章だ」と言われ落ち込む
嶋大輔 芸能界復帰し「何が男の勲章だ」と言われ落ち込む
『男の勲章』の大ヒットで知られる歌手・俳優の嶋大輔(52才)が、世間を騒がせたのは約4年前のことだ。突如、政治家への転身を表明し、芸能界引退宣言まで行った。ところが、それからわずか数週間で参議院議員選挙の出馬を断念した。なぜ政治家を志しながら、急転直下、断念するに至ったのか――嶋が舞台裏を語った。――2013年4月の芸能界引退会見、驚きました。嶋:参院選に出馬するために引退しました。知人に政治家の秘書がいて「一緒にやってみないか」と誘われたのがきっかけです。ぼくはかねてから、学校でのいじめを減らしたいと考えていたんです。完全になくすことはできなくても、法律を作ることによって、今よりも少なくすることは可能だと思ったんですね。――どんな法律を作りたかった?嶋:学校には用務員さんがいますよね。先生には言えない悩みも、用務員さんになら気軽に相談できる。ぼくの学生時代には、そういうこともあったんです。だから教室に1人、用務員さんのような相談役の人がいるだけでも、いじめは減らせるんじゃないかと思ったんです。今“アスリートファースト”って言葉が流行っていますけど、学校では“生徒ファースト”にしたかった。 ぼくはいじめられたし、いじめもしました。両方を知っているので、ぼくならできると思ったんです。ぼくは不器用なので、選挙は二足のわらじを履いてできるものではないと思って、芸能界を引退しました。その時は芸能界に戻らない覚悟で挑みました。――それなのに、なぜ断念することになったんですか?嶋:引退から約2週間です。「雲行きが怪しいよ」と、ある政治家さんから電話をもらって、「えっ、そんなことがあるの?」というところから、あれよあれよといううちに、今回は(自民党の公認)見送りと。言えない話もあるのですが…。 天変地異というのは、このことをいうんだなって思いました。何が起きているのかわからなかったです、最初。それは自分の不徳の致すところで、いただいた話を全部信じてしまった自分がいけなかった。そこに辿り着くんですけども。――ということは、非公式ながら自民党から公認を得られるという話はあったということですね。公認が得られないという話を2週間前に言われていれば、芸能界を引退しなかった?嶋:そうなりますよね。なにもかも捨てて引退したので、ぼくにはなにも残りませんでした。人を信じられなくなって、半年くらい何もできませんでした。対人恐怖症になりました。――出馬については、周りの方に相談しましたか?嶋:詳しくは話せませんが、芸能界の先輩や政治に携わっているいろんな方に相談しました。――自民党の公認見送りとなった理由は?嶋:あの日は議員会館に呼び出されました。そして、ある議員さんに「今回は、芸能人はいらなくなりました」と言われたんです。「今回はご縁がなかったということで」と言われて、おしまいです。目の前が真っ暗になりましたね。――嶋さんが芸能人だということは、初めからわかっていたことなのに。嶋:なぜ急に方針が変わったのかはわかりません。ちゃんと歩けているのか、というぐらいの放心状態でした。何を言われたのか、何が起こっているのかわからないくらいの精神状態で、現実を理解するのに時間がかかりまました。自分が政治に真剣に取り組んでいくという決意を、今までいた芸能界を引退するという形で皆様にわかってほしいという強い思いで臨んだ結果がまさかこうなるとは思いませんでした。 その後も大変でした。家に嫌がらせの手紙とか、無言電話とかいっぱいかかってきたんです。家族にも迷惑をかけてしまって、申し訳なかったです。出馬のことは、初めから妻に反対されていましたから。自分がしでかしたことは大変なことなんだなって。――無所属で出馬することは考えなかったのですか?嶋:政治の実績のないぼくが、なんの後ろ盾もないまま出馬することは考えられませんでした。――それから約2年3か月が経ち、芸能界に戻ってきました。嶋:みんなに「お帰り」と言ってもらえました。もちろん、歓迎ばかりじゃありませんでしたよ。「出馬すると言って辞めたのに、のこのこ戻ってきやがって、なにが男の勲章だよ」と言う人もいっぱいいました。その言葉も、重く受け止めています。でも、「そんなの関係ねえよ」と迎えてくれる人も、いっぱいいました。ぼくは一時期、人間不信にまで落ちていましたが、そういう温かい言葉が心の鍵を開けてくれて、今があるんです。――今後の目標をお願いします。嶋:PPAPみたいに、世界に届く何かを残せたらいいな…というのは冗談ですけど(笑い)。いいお芝居をしたいし、いい楽曲に出会えたらまた歌いたいですし。 30年くらい前にスーパー戦隊シリーズの『超獣戦隊ライブマン』(テレビ朝日系)の主演と主題歌をさせていただいていたんです。それで今年、久しぶりにイベントで歌ったんですけど、たくさんの人が待っていてくれたんですよ。嬉しかったですね。 思えば、元々不良キャラでデビューして、「なにがスーパーヒーローのレッドだよ」という声が、当時から聞こえていました。ぼくは紆余曲折の人生です。誰からも愛される役者になれるとは思っていません。でも、「あいつ、いいじゃん」って思ってもらえるような役者でありたいと思っています。【嶋大輔(しま・だいすけ)】1964年5月22日生まれ。横浜市出身。1981年、ドラマ『茜さんのお弁当』(TBS系)で俳優デビュー。翌年『男の勲章』が70万枚の大ヒットを記録し、歌手・俳優として幅広く活躍。2013年4月に芸能界を引退。2015年7月に芸能界に復帰した。撮影■浅野剛
2017.01.24 07:00
NEWSポストセブン
嶋大輔 自宅売却、対人恐怖症など引退後のつらい日々を告白
嶋大輔 自宅売却、対人恐怖症など引退後のつらい日々を告白
 1980年代、『男の勲章』が70万枚の大ヒットとなり、一躍スターダムにのし上がった俳優の嶋大輔(52才)。参議院選挙に出馬するため2013年4月、芸能界を引退。ところが、自民党の公認を得られず、すぐに出馬を撤回した。それから芸能界に復帰をしたのは2015年7月のことだった。復帰までの間、家に引きこもるなどつらい日々を送っていたという。嶋が”空白の2年間”のすべてを告白する――。――芸能界引退から昨年復帰するまでの間、なにをしていたのですか?嶋:自民党に内定をいただいていたのに、急に公認見送りでしたから、ショックで半年くらい何もできませんでした。こんな結果になって、信じてついてきてくれたファンの方にも申し訳ないという気持ちになりましたし、家に嫌がらせもありましたし…。 色々なことが一気に起こって、人を信じられなくなって、対人恐怖症のようになったんです。半年は家にこもって、誰とも会いたくない、しゃべりたくないという状況でした。その後、外に行けるようにはなりましたが、コソコソしていましたね。誰かに見られているんじゃないかと思って、マスクなしでは外出できませんでした。そのせいで、部屋のごみ箱はマスクの山でした(苦笑)。 それにその頃、ストレスで急激に太りました。政界に進むと決めてから芸能界引退会見をするまでに7kg太って、公認取り消しでまた7kg太って、それからまた少し増えて94kgだった体重が110kgまで増えたんです。――復帰まで、ずっと無職だった?嶋:芸能界を辞めたけれど、生活しなきゃいけないですよね。ぼくには妻と2人の娘がいますから。そんな時、友達や先輩方が、ソーラーパネルの営業をしようと声をかけてくれたんです。営業の仕事を始めてみて、改めて、サラリーマンで日本は支えられているなと実感しました。――対人恐怖症なのに、たくさんの人と対面する営業回りで大丈夫だった?嶋:子供の寝顔見ると、「この子たちを食べさせるのが俺の責任だ」という思いが強くなっていったんです。最初は無理をしてやっていました。営業先に行くと、ぼくを知っている人もいるんです。「もしかして嶋さん?」と話しかけてもらえるようになって、凍っていた心が溶けていきました。――奥さんから「早く働いて」などと言われた?嶋:妻は気を使ってくれて、何も言いませんでした。それが余計、つらく感じたりしてね。営業を始めるまでは、何の予定もないのに「仕事探して来る」と土手に行って、ボーッと時間を潰したこともありました。だからぼくが立ち直ったのは、妻が見守ってくれたり、友人が仕事に誘ってくれたり、周りの人の支えが大きかったです。――自宅も売却したそうですね。嶋:そうです。1年以上働けませんでしたからね。それに選挙に出るとなると、その準備のためにお金が必要だったんです。知り合いから2000万円くらいお金を借りていたので、その返済もありました。一戸建てを売却して、賃貸のマンションに引っ越しました。 妻は、「それがあなたの選んだ人生なんだから。戻れないなら、前を向くしかないじゃん」って言っていました。ありがたいなと思いましたね。――政治家になって法律を作りたいという思いは、もうない?嶋:政治はもうこりごりです(笑い)。でも、あの頃、法律を作っていじめを減らしたいと思った気持ちを失ったわけじゃありません。外に出られるようになってから、いじめに関しての講演をしたり、不登校の子たちが集まるフリースクールに行ったりしました。 政治家にならなくたって、自分で発信していくことができるんだと気づいたんです。それは、芸能人であるという実績が役に立つんですよね。フリースクールにはいじめられて、閉所恐怖症とか自閉症になってしまった子がいて、彼らとじっくり話をしました。 いじめられた子って「自分はこの世にいちゃいけないんだ」と思ってしまうんです。第三者の手によって人生が狂わされるなんて、あっちゃいけませんよね。しっかり目を見て、「そうじゃないよ。夢を見ていいし、みんな使命を持って生まれてくるんだから」と話しました。小学生から高校生くらいの子たちです。――そんな活動をしながら、なぜ去年のタイミングで芸能界に復帰した?嶋:『龍が如く』ってゲームが大好きで、プレイしていたら、同級生でもある中野英雄が出演していたんです。うらやましくなって中野に電話をしたら「なんで連絡してこねえんだよ、水くせえな」って言われて、会うようになったんです(笑い)。中野に「お前は芸能界の経験が30年以上もあって、戻る場所はここしかないだろ」と背中を押されました。自分のキャリアはここでしか生かせないんだな、と踏ん切りがつきました。――引退から復帰までつらいこともありましたが、得たものは?嶋:人間不信になったからこそ見えるものはあります。本当に思ってくれている人って、言葉が少ないんです。利用しよう、よく思われようと思っている人って、話が長かったりします(笑い)。 人って「言葉はいらない」と言うじゃないですか。そんな大げさなものじゃないですけど、本当に見てくれている人って、短いですよ。それで気持ちが伝わってきます。人を見る目が肥えてきたのかもしれないですね。あのときは、みんなが敵に見えましたから。――出馬騒動で体重が110kgまで増えたそうですが、今は何kg?嶋:95kgです。あと15kg減らしたいと思っています。リバウンドしないように徐々に痩せようと思っているので、医師と計画を立てています。毎日10km以上歩いて、食事は1日1800kcalまで。最初は低血糖になって病院に駆け込みましたけど(笑い)。料理は自分で作っていますよ。といっても、肉を焼くだけ、とかですから。たとえば、朝食は、サラダ、全粒粉のパン、ハム、目玉焼きくらいですね。――デビュー当時のスレンダーな体形に戻る予定?嶋:そうです。事務所のプロフィールにも体重の欄に「只今ダイエット中により変動あり」って書かれちゃって(笑い)。でもおかげさまで、頑張ろうって思ってます。中野英雄が30kgダイエットに成功しているので、うるさいんですよ。人のTwitterに「もっと歩け」とか言ってきてね。 Twitterといえば、今年の9月に始めたんですけど、ひどい目に遭いました。お腹が痛くなっちゃって、その日は6.8kmしか歩けなかったんです。それをTwitterでつぶやいたら、中野が「もっと歩け!」って書いてきたんです。「うんちしたくなった!」ってそれに返したら、全世界にドーンと配信されちゃって。「中野英雄に返信」とか表示されてるから、個人に行くものだと思うじゃないですか。読んだ人は「え?」「嶋大輔どうした?」って反応でしたよ。こんな恥ずかしいことないですよ。危うく、また対人恐怖症になるところでした(苦笑)。【嶋大輔(しま・だいすけ)】1964年5月22日生まれ。横浜市出身。1981年、ドラマ『茜さんのお弁当』(TBS系)で俳優デビュー。翌年『男の勲章』が70万枚の大ヒットを記録し、歌手・俳優として幅広く活躍。2013年4月に芸能界を引退。2015年7月に芸能界に復帰した。撮影■浅野剛
2017.01.22 07:00
NEWSポストセブン
ミリオン歌手小野正利 ヘヴィメタバンドに加入した理由語る
ミリオン歌手小野正利 ヘヴィメタバンドに加入した理由語る
 1992年、ドラマ『君のためにできること』(フジテレビ系)の主題歌『You’re the Only…』がミリオンヒットし、4 オクターブのハイトーンで一躍注目を集めた歌手の小野正利(49)。現在もライブを中心として活動しているという彼の意外な近況を聞いた。――最近の活動を教えてください。    小野:相変わらずソロの活動をしていますが、それに加えて、2009年にヘヴィメタルバンドのGALNERYUS(ガルネリウス)に加入しました。それに、ヴォーカルスクールの講師もしています。――ポップスとヘヴィメタでは、ギャップがありますね。小野:ジャンルのこだわりはなかったし、そもそもアマチュアの頃、デビューの数か月前までヘヴィメタルバンドを4年ほどしていたんです。だから知り合いのプロデューサーに、 「GALNERYUSのヴォーカルが脱退したので、やりませんか」と誘われて「じゃあやります」と(笑い)。――周囲には驚かれた?小野:デビューした後の、ポップスのぼくしか知らない人は意外だったと思います。でもアマチュア時代のぼくを知っている人からすると、ポップスでデビューした方が違和感で、どこからぼくを知っているかで反応が違いました。ぼくがロックを歌うと知っていた人は、「よくぞロックに来てくれた!」と歓迎してくれましたね。――ヘヴィメタルというとシャウトで喉に負担がありそうです。しかも小野さんは愛煙家ですね。小野:煙草は声に影響しません! これは力強く書いておいてください(笑い)。ぼくは20才から煙草を吸っていて、吸わずに歌っている期間がほとんどないので、比較はできないんですけどね。 それにしても、喫煙者は肩身が狭くなりました。お酒を飲んで暴れる人はいるけど、煙草で暴れる人はいませんよね。飲酒運転は危険だけど、喫煙しながら運転しても問題ないし、世の中アルコールには寛容だなって思います。――煙草を吸うことで、困ることはない?小野:ありますよ。イベントなどで呼ばれると、先方がホテルを取ってくれるんです。チェックインすると荷物を置いて、まず煙草を一服したいじゃないですか。でも、灰皿がない。フロントに電話をすると、「禁煙の部屋で承っております」と。ぼくの声のイメージから、喫煙しないだろうと思いこまれているんです。煙草を吸えないと、一晩中悶絶しています(笑い)。――ロックバンドに加入して、ファン層は変わりしましたか?小野:変わりました。たとえば、専門学校に歌を教えに行っているのですが、生徒は18才~20才くらいの若者です。彼らはぼくを知らないんです。何か月かすると「母が先生のCDを持ってました」とか「カラオケBOXに小野正利って人の曲が入ってるけど、あれ先生ですか?」というやりとりが常だったんですけど、GALNERYUS入ったら、「GALNERYUSの小野さんですよね!」って、若者にキラキラした目で見られるようになりました(笑い)。 だから、GALNERYUSでぼくを初めて知って、元々ポップスを歌っているらしい、そっちも見に行くかって若者とか。逆に、ずっとポップスのライブに来てくださっていた常連のマダム達が、ちょっと怖いけどヘヴィメタルを見てみようかと来てくださったり。――ハイトーンの出し方を教えてください。小野:よく聞かれますが、7割は気合です(笑い)。高い音になると、どうしてもみんな、高い音を出そうとするんです。でも出そうとすればするほど、喉に力が入って、咽が絞まっちゃう。すると、バカ殿のような声になるんです。だから、「出さず」に「鳴らす」という感覚が大事です。 急がば回れで、裏声が上手に発声できるといいと思います。そのためには、ハミングをするのがいいです。鼻歌のような、あれですね。声帯が喉ぼとけの軟骨のところについていますけども、その意識をなくして、ハミングだったら上あごの奥とか、鼻骨でもいいですけど、そこに息をぶつける感じです。――実際に習いたくなりますね。ヴォーカルスクールは生徒募集中?小野:はい、いつでも、誰でも。専門学校でも教えていますが、渋谷のビッセというヴォーカルスクールは、歌うのが好きで来ている方が多いです。――ファンも習いに来ている?小野:そうですね。実際あったのが「行きたいんですけど、小野さんの前で歌ったり声を出したりするのは恥ずかしいので、上手くなってから行きます」という(笑い)。でも、6.5対3.5で男性のほうが多いですよ。メタルが好きでハイトーンを出したい人とか。高校生から50代くらいの方と幅広い年齢層です。趣味の方が9割で、中にはプロ志向の方もいます。――今後の夢や目標は?小野:先日イベントで杉山清貴さんとご一緒したんです。歌い方も声もあまりに変わらな過ぎて、びっくりして調べたら、57才でした。ちゃんとやっていれば、ぼくもあの年まで自分の曲を歌えるんじゃないかと具体的に見えたので、歌手としては60才になっても変わらぬ声で歌えたらいいなと思います。 それに実はぼく、ライブを武道館でやっていないんです。だからGALNERYUSのひとつの目標は武道館だと言っています。GALNERYUSがもっと一般的に認知されるよう頑張っていきます。【小野正利(おの・まさとし)】1967年1月29日生まれ。東京都出身。1992年『ピュアになれ』でメジャーデビュー。同年8月にリリースしたセカンドシングル『You’re the Only…』が114万枚を越えるミリオンセラーに。2006年、ヴォーカルスクール開設。2009年、ヘヴィメタルバンドGALNERYUS (ガルネリウス)に加入。バンド、ソロ、ヴォイストレーナーとして、精力的に活動中。撮影■浅野剛
2017.01.02 07:00
NEWSポストセブン
小野正利 紅白もレコ大も「アパート6畳間」から行っていた
小野正利 紅白もレコ大も「アパート6畳間」から行っていた
 4 オクターブの音域と、澄み切ったハイトーンヴォイスで注目を浴び、1992年8 月にリリースした 3rd シングル『You’re the Only…』が114 万枚を越える大ヒットとなった歌手の小野正利(49)。あれから24年が経ち、今だから言える『You’re the Only…』の秘話や、甘酸っぱい思い出を語ってもらった。――『You’re the Only…』のヒットで、生活は変わった?小野:あまり変わりませんでした。何も知らずに業界に入ってすぐのヒットだったので、気づけば114万枚に見合うものをもらっていなかったんです。収入としては、自分で考えていた額よりも桁ひとつ少なかったですね。 ぼくはデビューした時、築20年のコーポの、6畳ひと間のアパートに住んでいました。『You’re the Only…』のリリースが1992年8月で、年明けの2月までそこでしたから、『NHK紅白歌合戦』も『日本レコード大賞』も、西日の差す狭い部屋から行っていたわけです。――ミリオン歌手が、6畳ひと間とは。小野:住居にこだわりがなかったのですが、「世間体もあるから引っ越して」と事務所の人に言われて、会社が見つけてきた1LDKのマンションに引っ越しました。“LDK”の意味が初めてわかりました(笑い)。18万円くらいの家賃でしたけど、それは会社が払ってくれました。 いざ1LDKに住んでみたら、カーテンや家具にこだわりだしちゃったんです。その当時は1万円のものを見ても1000円くらいの感覚だったので、やっぱり、金銭感覚はおかしくなっていたんでしょうね。そんな使い方をしていたら、あっという間にお金がなくなって、預金はできませんでした(笑い)。 ――デビュー3か月でブレイクして、浮かれていた?小野:いえ、そこは冷静でしたよ。『You’re the Only…』がヒットした時に思ったのは、これはぼくが認知されたわけじゃなくて、月9ドラマの主題歌だから、みんながCDを買ってくれたんだろうと。一過性のものだから、ここで「やった!」と喜んでいると、あとで恥ずかしいだろうなって。 だから『笑っていいとも!』(フジテレビ系)に出演させていただいた時も、タモリさんに「曲、売れてるね」と言われて、「うーん…」という反応をしてしまって、「嬉しくないの?」って突っ込まれました(笑い)。――手放しで喜べなかった?小野:100万枚以上CDを売るってすごいことで、それは嬉しいんですけど、一方では「困ったな」とも思っていました。積み重ねて登った山なら少しずつ下るんだろうけど、ドンと上がったので、ドンと落ちるだろうと思ったんですよね。 ぼくはMr.Childrenや広瀬香美さんと同じ年のデビューで、ああいう売れ方をイメージしていたんです。じわじわと曲が浸透していって、人気が出ましたよね。下地があるから、変動しても底力があるんです。――現在はバラエティーなどでも活躍していますが、テレビに出ない時期もありましたね。小野:歌手を辞めていると間違われていることがあるんですよ。一昨年くらいに乗ったタクシードライバーに声をかけられて、「小野さんはとても綺麗な高い声で、すごくよかったのに、なんで辞めちゃったんですか?」って。「辞めてませんよ」って言ったら、「すみません、最近見ないから」って、なんのフォローにもなってない(笑い)。『You’re the Only…』の後もヒットと呼べる曲はあるし、ホールのライブもこなしていたんですけど、テレビに映らないと「最近見ないな」という感覚になる方もいらっしゃるんでしょうね(苦笑)。――それくらい『You’re the Only…』はインパクトがありました。小野:この曲はいける、という手ごたえは、デモテープの段階でありました。だから関係者でも「タイアップをつけてドカンと行こうぜ!」という話になり、デビュー曲になるはずだったのですが、ドラマの主題歌として3枚目のシングルになったんです。 だから『You’re the Only…』がプロになって初めての作詞だったわけですけど、ちょっとした裏話があるんです。実は社長に、「お前の高い声がポンと出ればいいから、歌詞は適当でいい」と言われたんです(苦笑)。 適当でいいなら字数だけ合わせようかなって、さらっと考えた歌詞なんです。西日の差す6畳の部屋で、「畳も日に焼けてるな」なんて思いながら書いたんですね。そうしたら、そのまま採用になったのでびっくりしました。今思うと、幼いというか、綺麗すぎるというか、ちょっと恥ずかしい歌詞だなって。――素敵な歌詞だと思うのですが、恥ずかしい?小野:当時25才だったんですけど、変にテクニカルに狙ったり、難しい言葉を使うんじゃなくて、素直に書いたらいいんじゃないかと思ったんです。周りのヒット曲を見渡したら、ベタベタな恋愛曲が多かったんです。それで、ベタでいいなと思って。――当時、思い浮かべていた人や場所はある?小野:ありますね。舞台は鎌倉の海です。若かりし、甘酸っぱい恋を思い浮かべて書きました。20才のぼくは、女性の手も握れないくらい初々しい恋愛をしていたんです。女性には男性と同じような性欲はないと思っていたんですよ。男だけだと思っていたんです、デートの時に悶々としているのは(笑い)。 今でも『You’re the Only…』は大切で好きな曲ですが、そういう意味でも、甘酸っぱい気持ちになる曲です。【小野正利(おの・まさとし)】1967年1月29日生まれ。東京都出身。1992年『ピュアになれ』でメジャーデビュー。同年8月にリリースしたセカンドシングル『You’re the Only…』が114万枚を越えるミリオンセラーに。2006年、ヴォーカルスクール開設。2009年、ヘヴィメタルバンドGALNERYUS ガルネリウス)に加入。バンド、ソロ、ヴォイストレーナーとして、精力的に活動中。撮影■浅野剛
2016.12.30 07:00
NEWSポストセブン
GAO 『サヨナラ』は「歌う人の本質が投影される曲」
GAO 『サヨナラ』は「歌う人の本質が投影される曲」
 中性的な容姿とハスキーボイスでファンを魅了し、1990年代、セカンドシングル『サヨナラ』がミリオンヒットとなった歌手のGAO。今年デビュー25周年を迎えた彼女の近況や、音楽への熱い胸中を語ってもらった。――今年でデビュー25周年、一番力を入れていることは?GAO:今はインディペンデントな立場で、音楽制作やGAO主催のイベントをしています。月に2、3日くらいはライブをしています。 私が音楽を始めたのは中学生の頃です。姉たちが使わなくなったアコースティックギターを引っ張り出して、弾き語りを練習したのが、初めての音楽活動でした。その頃の心境に戻って作った即興ソングをTwitterにアップしています。即興なので、どんなメロディーが出てくるのか、自分でもわからないんですけど、自分の中にしみついているルーツみたいなものが出て、おもしろいですね。 真夜中に部屋で弾くこともあって、囁くように歌っていたりします。聴いた方からは「部屋の中にGAOさんがいて、隣りで弾き語りをしている感じがする」という感想をよくもらいます。即興ソングが好評だったので、臨場感をそのままにCDにして、その曲のライブを行いました。――プライベートではまっていることは?GAO:音楽づくめですね。ずっとアコギを弾いていたので、今年は指先にまめができました。まめができるまでは痛いんですけど、できてしまえば痛くないんですよね。 ここ数年、はまっているのは筋トレです。筋肉は死ぬまで発達するものだそうで、大人になっても成長するものがあるんだって、すごく惹かれて。今では、腕はアスリート並みの筋肉量になりました(笑い)。――テレビではデニム愛を熱く語るなど、楽しい人柄でしたが、キャラクター変更をした?GAO:いえ、普段はあんな感じですよ。みなさん、プロモーションビデオのイメージが定着しているんでしょうね。デビューして数年はクールなイメージで作っていたので、写真を撮るときは、笑わないことが多かったんです。―― 一時、ヒップホップをしていましたね。GAO:それは自然な流れなんです。レコーディングのためにニューヨークに行っていたんですけど、1990年代の初めはヒップホップ全盛期。打ち込みとかサンプリング音楽とか、そういうものが主流になりつつあった時期なんです。 ニューヨークのクラブで、その頃のヒップホップを聞いたりしているうちに、自分で作ってみたいと思って、REAL Gとして活動したんです。――それで改名したんですね。GAO:ヒップホップらしい一面を表現して、これも自分だという音楽活動でした。だから改名というよりも、名義が違うだけですね。区別したいので、GAOの活動をしている時はREAL Gで活動をしない。予定はありませんが、もしREAL Gの活動をすることになったら、GAOは休止したいと思っています。――代表曲の『サヨナラ』は、最近では柴咲コウさんなど、たくさん人がカバーしています。GAO:歌ってみたいと思ってくださったり、影響を受けてくださった曲だと聞くと、すごく嬉しいです。あの曲は難しい曲だと思います。指一本で弾けるようなシンプルなメロディーだからこそ、いかに個性を入れるかというのを試される気がします。歌う人の本質がそのまま投影される曲だと思いますね。――即興ソングのライブや弾き語りの公開ライブレコーディングなど、GAOさんは新たなライブの形を開拓しているように感じます。GAO:自分のやり方を築くことに、ここ何年か意識を置いているんです。音楽業界は、CDがメディアとして必要とされていない時期が来ています。かといって、一時期盛り上がった音楽配信も下火になって、曲に値段が付けられない時代になってきました。 この時代に音楽家はどういう活動をすればいいのかと考えた時、参考にさせていただこうと思ったのは、マドンナや亡くなったプリンスが大手メジャーを辞めて、自分のやり方を模索していたことでした。日本でも誰かが、自分のペースで、長くアーティスト活動を続けていくさまを残して行かないと、音楽活動をする若い人たちが、夢を持てないんじゃないかなと思うんです。 音楽はYouTubeやSNSで、ただで聞ける時代です。だけど、ライブで聞いた時に受ける衝撃や感動って、また違うものがあると思うんです。だからみなさんにそれを味わってほしい。SNSではなく、音楽を通じて人が顔と顔を合わせて出会うことは、ライブでないと経験できないと思うんですよね。――最後に、今後の目標は?GAO:ほぼ手作り状態で活動しているのですが、それを大きくしていきたいと思っています。仲間を増やして、ライブの規模を大きくしたり、プロジェクトを立ち上げたりして。音楽業界がもっと元気になるようなイベントを、自分で企画したいと思っています。【GAO(がお)】9月14日生まれ。山口県出身。1990年、NHK『全日本勝ち抜きロック選手権 BSヤングバトル』にバンド・GAOとして出場し優勝。翌年、ソロシンガーとしてメジャーデビュー。1992年4月、セカンドシングル『サヨナラ』が累計123.6万枚のミリオンセラーに。1996年3月GAOの活動を休止、2000年よりギャングスタラッパー・REAL Gと名前を変えて活動。2009年、GAOとしての活動を再開。撮影■黒石あみ
2016.10.02 07:00
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『サヨナラ』ヒットのGAO 今でも男性に間違われると明かす
『サヨナラ』ヒットのGAO 今でも男性に間違われると明かす
 年齢・性別不詳、独特のハスキーボイスで鮮烈なデビューを果たし1990年代、『サヨナラ』で120万枚を超えるヒットを記録した女性シンガーのGAO。『サヨナラ』の秘話や、意外なプライベートの素顔についても迫った。――1991年、年齢・性別不詳でデビューされたのが印象的でした。GAO:バンドの勝ち抜きコンテストでデビューしたんですけど、そこで出会ったレコード会社のディレクターが、「男か女かわからない、何才かわからない」ボーカリストを探していたんです。そこで「性別も年齢も不詳にしたらどうでしょう」と私から提案したんです。 元々音楽は、年齢とか性別を知って聞くものではないと思っています。どんな人が聞いても、自分のことだと受け止めることが多いと思うんです。私もそういう音楽の聞き方をしてきましたし、この年齢の人が歌っているから、この年齢の人が聞かなきゃいけない、という先入観を持たずに聞いてほしいと思っています。――それが、今でも生年月日を明かしていない理由?GAO:そうですね。音楽に年齢は関係ないと思います。たとえば、13才の頃に作ったメロディーを元に作った曲を、Twitterにアップしています。13才の時に感じた詩に、今メロディーをつけたらこんな感じだろう、続きをつけたらこんな感じだろうというのが新鮮だったんです。何十年も前の自分とコラボレーションをしたような経験をしました。――年齢は今でも明かされていませんが、女性だというのは公になりました。GAO:デビューした後にショップに行くと、あまりにも男性ボーカリストの棚にCDが並んでいるので、「女性ボーカルの棚に置いて下さい」と言って回りましたから(笑い)。――今でも男性と間違われる?GAO:そうですね。公衆のトイレですれ違うと、振り返られることがあります。昔は、「なに、あなた!」ってトイレの清掃員のかたに囲まれたことがありますよ(苦笑)。20代の頃、デビュー前に銭湯に行っていたのですが、「こっちは女風呂です」と何回も言われました。髪がベリーショートだったせいもあるんでしょうね(笑い)。 GAOの活動を休止していた頃は、結べるくらいに髪を伸ばして金髪にしたんですけど、ハードロックをしている男性に間違われました。 あと実は、ワンピースを着てライブしたことがあるんです。男装だとか宝塚みたいだとあまりにも言われるので、スカート姿でライブをしたんですけど、お客さんの反応はイマイチでした(苦笑)。――GAOさんが女性と知って、泣きだしたファンもいたそうですね。GAO:私は山口県出身なので、そのころ一人称は「わし」を使っていたんですけど、デビュー前のライブのMCで「わしも一応女性なので、男性のお客さんも応援してください」と言ったんです。すると、会場の空気が止まったんですよ。ライブが終わった後に何人か女性が来て、「GAOさんって女性なんですか?」と聞かれたから「そうだよ」って答えたら、泣きながら走り去ってしまいました。 デビューしてから、たくさん手紙をもらったんですけど、性別と年齢を不詳にしていたので、だいたい1行目に「ごめんなさい」と書いてあったんです。男性と間違えてごめんなさい、という意味なんですけど(笑い)。これは勘違いされ過ぎだな、女性だと言わなきゃいけないと思いました。――男性からも女性からも、モテモテなんでしょうね。GAO:全然モテないですよ。音楽をやっている人ってちょっと変わってるので、人気者になることはありますが、それほどモテないんです。たとえばギターリストは1日何時間もギターの練習をしているんですよ。それって、恋人は耐えられますか? 私はボーカルですから、発声の研究でいつ大きな声を出すかわかりません。部屋にいても「あー!」って突然声を出したり歌い出すので、友達が驚きます。街を歩いていても、突然声を出しますから。いかに自分の出したい声に近づけるかで、いつも頭がいっぱいですからね。――『サヨナラ』は切ない失恋ソングですが、歌詞は実体験?GAO:あの歌詞を書いたころは失恋をしたことがなかったんです。恋愛的な失恋にはなっていますけど、そのほかに大切な人との別れとか、身内の別れがあって、そういうものに喪失感とか切ない思いを感じていたんです。そこからもう一歩前に、生きている人間は進んでいかなきゃいけないという思いを込めて書いた曲です。――経験を経て、歌い方は変わった?GAO:変わりましたね。1990年代に作った曲は自分の経験というよりも、想像や人の話、本を読んで作るものが多かったんです。こうして年齢を重ねてきて、いろんな経験をすると、リアルに感じてくる部分はあります。自分の書いた詩で、今まで響いたことがない言葉に、泣きそうになることもあります。 たとえば、『LOVE』という曲があるんですけど、母にプレゼントした曲なんです。結婚がテーマになっていますが、運命的な出会いなどを歌っています。母は数年前に亡くなったのですが、その曲を歌うと、思い出がよみがえってきます。 その曲に、「誕生日にいつかくれたギターで やっとふさわしい歌を届けよう」という歌詞があります。私が歌手になりたいと言った時、一番の応援者は母でした。母は「いいギターで弾いた方がうまくなるから」と言って、中学生の私に高いギターを買ってくれました。やっとふさわしい曲でお返しができるという、母への気持ちを込めた歌なんです。【GAO(がお)】9月14日生まれ。山口県出身。1990年、NHK『全日本勝ち抜きロック選手権 BSヤングバトル』にバンド・GAOとして出場し優勝。翌年、ソロシンガーとしてメジャーデビュー。1992年4月、セカンドシングル『サヨナラ』が累計123.6万枚のミリオンセラーに。1996年3月GAOの活動を休止、2000年よりギャングスタラッパー・REAL Gと名前を変えて活動。2008年、GAOとしての活動を再開。2016年09月25日、池袋・アブソルートブルーにて『ギター・ツイッター・ライブ』開催。撮影■黒石あみ
2016.09.24 07:00
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『笑点』の裏側 台本は? リハーサルは?に木久扇が回答
『笑点』の裏側 台本は? リハーサルは?に木久扇が回答
 放送50周年を迎えた『笑点』(日本テレビ系)は、桂歌丸から春風亭昇太へ司会者交代、林家たい平が『24時間テレビ』マラソンランナーに決定など話題が尽きず、視聴率20%超えが続いている。そんな人気番組の裏話を、最古参で最年長となった林家木久扇(78才)に、たっぷりと聞いた。――メンバー仲良さそうですが、楽屋はどんな様子ですか? 木久扇:みんなで世間話していますよ。そこから面白い話題を拾っている感じですね。学校の休み時間みたいに雑談していて、本番ですよと呼ばれるとぞろぞろ出ていく感じです。後楽園ホールのボクサーの控室を使っているので、壁に血のりがついて黒ずんでいる部屋なんですよ(笑い)。『本日の楽屋』ってコーナーのために楽屋を撮影しているので、気が気じゃないんです。仲間内のこととか、テレビ局の悪口は言えません(笑い)。――リハーサルは念入りにしているんですか?木久扇:ほとんどないですよ。司会者に「どうなんだい?」と聞いても教えてくれないし。ま、でも、長年やっているので回答が浮かぶんですよね。出題が面白くないと答えも面白くならないのですが、質の高い問題を考えるのは難しいですよね。――ぶっちゃけ、台本はありますか?木久扇:台本はありますけど、何も書いてないんですよ。矢印が引いてあって、「ここで1問」って書いてあるくらい。空白ばかりで意味がないのですが、一応作らなきゃいけないのかもしれませんね。大喜利以外のゲストもいますからね。司会者の挨拶の言葉は刷ってありますが、歌丸さんは台本通りに言っていませんでした。――面白い回答のコツを教えてください。木久扇:ぼくはもともと漫画家だったので、漫画の主人公のような決め言葉を作るんです。「いやん、ばかん」もそう。「杉作! 日本の夜明けは近い!」っていうのは、『鞍馬天狗』を下地にしているんですけど、原作にはないぼくが作った造語なんです。なにかいい答えが言えた時なんかに使えるんです。 そういう便利な言葉を7つくらい持っていて、代わる代わる使っています。わからなくなると「いやん、ばかん」と歌ってごまかしたりして(笑い)。 歌うのも理由があって、ただ答えるより、カメラに映っている時間が長くなるんです。あとでメンバーにずるいと言われます(笑い)。たい平さんが「ふなっしー」って飛んでるのも同じですね。自分が長く映るし、周囲も巻き込むから、「痛えな、なにすんだよ」って言いつつ、円楽さんたちも得してるんです。――木久扇さんの着物は、昔は赤だったそうですね。木久扇:正式に黄色くなったのは、カラーテレビになったときです。テレビ局の人に「好きな色を選んで」と言われたので、ぼくは黄色を取り、歌丸さんは緑を取りました。――黄色を選んだのは、なぜ?木久扇:人の目に一番に入る色は黄色なんです。ランドセルのカバーとか、子供の交通安全の帽子とかは黄色でしょ。みんなは好きな色を選ぼうとしていたけど、ぼくは絵を描くから、一番目立つ色が黄色だと知っていて、真っ先に選んだんです。青などの寒色は縮んでいく色なので、小遊三さんの色は損だなと思って見ているんですけどね(笑い)。――『笑点』以外でも、黄色を着る?木久扇:着ません、普段は地味な色ですよ。でも印象は「黄色い人」ですよね(笑い)。上野の呉服屋さんが、成人の日の注文に色紋付が多くなったと言っていました。「木久扇さんの色にしてください」とか、「こん平さんのオレンジにしてください」とか。『笑点』効果なんでしょうね、呉服屋さんはびっくりしていましたよ。【林家木久扇(はやしや・きくおう)】1937年10月19日生まれ。東京出身。高校卒業後、森永乳業に入社。のちに漫画家を目指し清水崑を師事した後、三代目桂三木助に入門。1961年に八代目林家正蔵(のちの彦六)門下へ移る。1969年より、林家木久蔵として『笑点』(日本テレビ系)レギュラー。2007年、木久扇を襲名。今年6月22日、親子3代(林家木久扇、林家木久蔵、木久蔵の子のクミ・コタ)と元オフコース・鈴木康博が歌う『空とぶプリンプリン』リリースした。撮影■浅野剛
2016.08.16 07:00
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