川原:一言で言うと「時代が変わった」んですね。夜間の車相手の場所が時代にそぐわなくなったんですね。住宅地で駅まで遠いし、周囲に何もない。オープンした29年前は、車に乗っていた若者は深夜も活発に動きまくっていました。景気も良かったし、場所柄、車でしか来れません。10年ほど前から飲酒や駐車の取り締まりが厳しくなって、だんだん深夜の車が減っていって、若い人は携帯電話などの支払いの負担も大きく、深夜出歩かなくなったんですね。もっと早く時代の流れについていけばよかったんですが、それでも、まだ大丈夫だと、創業の地に未練があって、客足が減っても動かなかったんです。
――もっと早く店の場所を移せば、本店は続けられていた?
川原:それはわかりません。でもそこで成功して、毎晩1000人を超える行列ができて、路上駐車も凄く“なんでんかんでん渋滞”と言われました。騒音、においの問題もあって、毎晩50回を超える110番がありました。パトカーが来る度にお客様はラーメンの箸を止めて車を移動、結局戻って来ずに無銭飲食も相次ぎました。
警察は、なんでんかんでんだけの為に中央分離帯にフェンスを設置、車線まで書き換えました。それでも違反が相次ぎ、警察は取り締まりを強化、半年間に渡って営業時間中、店前にパトカーを常駐させました。その間の売り上げは10分の1以下にまで落ち込みました。嘘みたいな話ですが、本当です。この地から全国にラーメンブームを発信したという自負があります。本当に、あの場所に未練があったんですね。
良くも悪くも、伝説を作ってきたあの場所ですからね。そうした未練がましさを持っていると、ビジネスはうまくいかないんですね。最後の2年くらいは苦しい経営をしていました。本店閉店の話ですが、本当の事言うと次の移転先も決まっていたので、閉店を決意しました。しかし、次の店舗の改装直前で臭いの件で問題が起きたこともあって、未だ休業状態です。
【川原浩史(かわはら・ひろし)】
1964年3月13日生まれ。福岡県出身。1983年、東芝レコードから作曲家としてデビュー。オペラ、シャンソン、タンゴ歌、ポップス歌手としても活動。翌年、前座歌手をきっかけに、漫才コンビ・Wけんじの弟子となり芸人活動開始。1987年、世田谷区で東京では珍しかった博多豚骨ラーメン『なんでんかんでん』をオープン。連日大行列となる。なんでんかんの成功をきっかけに、日本はラーメンブームが起きる。2012年、本店を閉店。現在は、芸能活動、講演、接客セミナーを中心に活動中。 http://nandenkanden.tokyo
撮影■浅野剛