横浜の沖仲仕(おきなかし)は戦後間もない頃の仕事を語る。袋詰めされていないバラバラの豆を船倉から運び出すとき、きつい労働の合間に首まで豆に埋まって仮眠をとった。ほかにも、3回結婚して小学校教諭から能面師になった人、小さな寺の住職に転身した精神科医もいる。
しかし、なぜ有名人ではなく無名の人を描くのか。山田さんは身を乗り出すようにして語り始めた。
「実はあらゆる人にドラマがある。うれしいこと、悲しいこと、時代の波との格闘がある。世の中に名前の出ている人を書こうとすると筆が乗らないんですよ。冷や飯を食っている人、時流に乗っていない人にシンパシーを覚えるたちなんでしょうね」
それは自身と重ねる部分があるからだろう。大学を出て大手鉄鋼メーカーに就職した山田さんは、自分の人生を手の内に握りたいと会社をやめ、レールから降りた。この男たちもどこかでリセットしている。
「ぼくもそうですが、この人たちはリスクと不安を抱え、死ぬまで七転八倒していると思います。世間では大会社の部長になって、子供が仕上がって、死ぬまで安泰という人を幸せというのかもしれない。どちらがいいかわからないですね」
5年前に再婚し、3才の子供がいる。
「人生に成功も失敗もないけど、自分はこの仕事をしたとか、この子を育てたとか、やったと言い切れるものがないとつらい。ぼくの場合は、これを書いたからもういいや、と思えるものを書くしかないですね」
(取材・文/仲宇佐ゆり)
※女性セブン2016年3月3日号