忘れられない患者さんがいた。スキルス胃がんのMさん(当時42歳)である。スキルス胃がんは悪性度が高く、術後の5年生存率は10~20%と厳しい。
その年の9月、他県の病院で「余命3か月」と宣告された。12月に諏訪中央病院を受診したとき、すでにがん性腹膜炎で腹水がたまっていた。がんは胃だけでなく腸や尿管の周りにも広がり、腸閉塞になりかかっていた。痛みや嘔吐、下痢などの症状を取り除くと、彼女は「生きたい」と希望を口にするようになった。
彼女には、2人の子どもがいた。長女が高校3年、二女が高校2年。長女の卒業式に出たいという。3月まで命がもつか。ぎりぎりの賭けに思えた。
うれしいことに、抗がん剤治療が効を奏した。がんは20%ほど縮小。彼女は長女の卒業式に出ることができたのである。がんにはそういうことがしばしば起こる。入院は最小限にし、できるだけ家に帰してあげた。家族と過ごす生活が、免疫力を上げたのだろうか。
その後、一進一退を繰り返しながら、彼女は生きた。そして翌年の春、二女の高校卒業も病室で祝うことができた。余命3か月と診断されてから、1年8か月生きたのだ。
生存率を明らかにすることは、治療計画を立てたり、治療を評価したりするうえで重要だ。一方で、生存率という数字に負けないことも大事である。厳しい状況のなかでも、希望を持つことができれば、それが生きる力となる。人間にはそういう得体の知れない力が内在するように思う。
2人に1人ががんになる時代といわれる。かつては、がんにどう打ち勝つか、が問われた。今は、がんになっても、どうよりよく生きるか、という時代になってきた。生存率に負けないで、一人ひとりを支えるあたたかい医療が広がることを期待したい。
●かまた・みのる:1948年生まれ。東京医科歯科大学医学部卒業後、長野県の諏訪中央病院に赴任。現在同名誉院長。チェルノブイリの子供たちや福島原発事故被災者たちへの医療支援などにも取り組んでいる。近著に『「イスラム国」よ』『死を受け止める練習』。
※週刊ポスト2016年3月4日号