(6位)伊達政宗:19万石・285億円
1589年の秀吉による小田原城攻めに参加する直前の頃、陸奥、出羽66郡の約半数を治めていた時の石高が114万石。
(7位)徳川光圀:4万6666石・70億円
水戸藩第二代藩主となった1661年の石高28万石をもとに算出。
(8位)石田三成:3万2000石・47億円
関ヶ原の戦いにおいて西軍の指揮官だった頃の石高が19万石。敗戦後、領地は没収された。
(9位)真田昌幸:6333石・9億5000万円
石高は3万8000石。長男の信之は13万石まで勢力を伸ばした。
(10位)藤原道長:田地、綿などの現物支給・4億5000万円
従一位太政大臣時の給料。ほかにも荘園の名義貸しをして得た収入があったといわれている。
(11位)大岡忠相:1666石・2億5000万円
「大岡裁き」の大岡越前。町奉行での働きが認められて寺社奉行になり、1万石の大名となった。
(12位)長谷川平蔵:1500石・2億2500万円
『鬼平犯科帳』の鬼平のモデル。火付盗賊改方の長を務め、情報収集のために町人にそばを振る舞うなどして経費がかさんだという。
(13位)勝海舟:1000石・1億5000万円
1872年制定の太政官制における従二位の年給俸禄を基に算出。枢密顧問官も務めていたが、その待遇は不明。
(14位)大久保利通:7200円・1億4000万円
参議という大臣クラスの役職の給料。実質的に政界のトップとして「富国強兵」をスローガンに殖産興業政策を推進した
(15位)源頼朝:田地、綿などの現物支給・1億2400万円
正二位の年俸が1億1000万円に征夷大将軍の給与1400万円程度が加わる。別に将軍家の荘園からの収入があった