(16位)西郷隆盛:6000円・1億2000万円
陸軍大将の地位にあった1872年の月給が500円。当時、大佐の月給は250円、大尉は100円だった。
(17位)伊藤博文:9600円・9600万円
1885~1888年の内閣総理大臣としての月給800円から算出。
(18位)市川團十郎(2代目):1000両・6000万円
1721年に給金が1000両になった。千両役者の語源ともいわれ、あまりの人気に収入が高額になりすぎ、幕府が給料の上限を決めるほどだった
(18位)東郷平八郎:6000円・6000万円
1904年1月21日の海軍給典令における海軍大将の年俸。なお、参謀として有名な秋山真之は当時中佐で年俸は約1800円(1800万円)
(20位)宮本武蔵:330石・4950万円
晩年の1640年、熊本城主の細川忠利に剣術の指南役として招かれた際の禄高。浪人の身分で指南役という大役を任されるのは異例。
(21位)東条英機:9600円・4800万円
当時の総理大臣の月収800円から算出。なお、1931年の陸軍大将の月収は550円、二等兵は6円だった
(22位)大石内蔵助:250石・3750万円
祖父・良欽が死去して受け継いだ遺領の石高が1500石。なお、吉良邸への討ち入り費用は691両(約7000万円)といわれている。
(23位)山本五十六:6600円・3300万円
1943年の海軍大将の年俸。1943年に前線視察の際、ブーゲンビル島上空で戦死した。
(24位)近藤勇:600両・600万円
副長の土方歳三は約480万円、沖田総司や斎藤一は約360万円、下級隊士は約120万円。下級隊士でも当時としては高給だった。
(25位)坂本龍馬:60両・60万円
坂本龍馬が結成し、日本初の株式会社といわれる「海援隊」のメンバーには毎月5両の給料が支払われていた。
※週刊ポスト2016年3月25日・4月1日号