プロ野球の晴れ舞台にもう一度立つことを願い、逆境や衰えと闘いながら、再起を期してもがき続ける元プロ野球選手たちがいる。現役を簡単に諦められないのは、プロ打者の頂点である「三冠王」を獲得した男でも同じだった。
昨年12月、松中信彦(42)は19年間在籍したソフトバンクを自由契約となった後も、他球団からのオファーを待ち続けた。しかし、2月末までにオファーがなかったため3月1日に引退会見を開いた。
首位打者2回、本塁打王2回、打点王3回。2004年には史上7人目、平成では唯一の三冠王に輝いた。球団から華やかな「花道」を準備してもらって当然の存在だが、どんなにボロボロになってもユニフォームを脱ごうとはしなかった。そんな男が、ついに引退を決意した理由は何だったのか。
「やはり年齢がネックでした。肉体的な衰えではなく『眼』、動体視力の低下です。打球を捕らえたと思ってもインパクトがずれてファウルになることが増えていた。特に今のパリーグは150キロ台の投手が当たり前。しかも手元で動く。『見てから振る』ではなく『振りながら見る』というバッティングをしなければ対応できない。動体視力がより大切になってきているんです。
僕はこの『振りながら見る』を若い頃からやってきたが、このまま実戦経験がなくなり一軍クラスのピッチャーのボールを見る機会がなくなれば、眼の衰えに拍車がかかって満足いく結果は得られない。若ければトレード期限の7月末まで待ったでしょうが、年齢を考えて引退を決意しました」
独立リーグからの誘いもあったという。しかし最後までNPBにこだわった。
「現役続行は最後まで自分への挑戦でなければならないという思いがありました。それに、ユニフォームを着続けるために妥協して若い人のチャレンジの場を奪うことになっては申し訳が立たない。ソフトバンク時代、王(貞治)会長には“二度とない1日を無駄にせず悔いを作るな”“常にバットを120%の力でフルスイングしろ”と教えられてきた。引退を決意する日まで、それは全うできたと思います。
唯一悔いが残るのは『家族』ですね。15歳の長男はともかく、7歳の次男と5歳の三男は、僕の打っている姿をほとんど見ていないこと。父親の活躍を目に焼き付けてやれなかった」
撮影■小笠原亜人矛
※週刊ポスト2016年4月8日号