失言後に記者会見を開いた自民党の鶴保庸介氏(時事通信フォト)
失言や不祥事を起こしたときに試されるのが「謝罪力」。その力が決定的に欠けているのが政治家たちだ。最近の実例から、政治家が念入りに教えてくれる「やっちゃいけないダメな謝り方」についてコラムニストの石原壮一郎氏が解説する。
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参院選も大詰め。どんな結果になるかはさておき、勝てなかった政治家や党の責任者が、いろんな言い方で謝罪する姿を目の当たりにすることになります。
はっきり申し上げて、政治家ほど謝ることがヘタクソな人たちはいません。もしかしたらわざとやっているのかと思うほど、怒っている側の神経を逆なでしたり、さらに批判を盛り上げたりするダメな謝り方をしがちです。
政治家も私たちも、間違いや失敗をしでかすのは仕方ありません。しかし、謝り方ひとつで株を上げることだって十分にできます。謝り方には、その人の誠実さや知性や器の大きさなど、人間性がすべて凝縮されていると言っていいでしょう。
選挙の結果が出たあとで、どの政治家や政党が見事な謝り方でピンチを逆手にとって株を上げるのか、どの政治家や政党がダメな謝り方で支持者をさらにガッカリさせたり世間の評判を落としたりするのか。一種の熱狂状態が落ち着くタイミングだけに、本当に信用できる政治家や政党を見極める格好の手がかりになりそうです。
「~としたら」という言い回しはどんな印象を与えるか
どんな謝り方が、ダメな人間性を露呈してしまうダメな謝り方なのか。「謝り下手」の代表選手である政治家のみなさんに、その実例を学んでみましょう。
記憶に新しいところでは、選挙の応援演説で「運のいいことに能登で地震があったでしょう」と言い放った鶴……いや、選挙期間中なので特定の政党や政治家の名前を書くのは控えたほうがいいですね。仮に「J党の亀さん」とします。むしろ失礼な呼び方になっている気もしますが、そういうお約束なのでやむを得ません。
あのときのあの方の謝罪には、ダメな要素がギッシリ詰まっていました。翌日の記者会見で亀さんは、「被災地への配慮が足りなかったと言われれば、まったくその通りで」と言いつつ、謝罪と発言の撤回をすると述べました。さらに「心苦しい思いをさせてしまったとしたならば」といった発言もしています。
政治家のみなさんがよく使う言い回しですが、ひょっとして「配慮が足りないと言っている側」や「心苦しい思いをしている側」に責任があると言いたいのでしょうか。「自分はぜんぜん悪くないのに、ヘンな受け取り方をされたせいで責められることになっちゃった。まったくいい迷惑だ」という心の声も漏れ聞こえてきます。
記者会見のときの亀さんは言葉のチョイスだけでなく、面倒臭そうな態度や高圧的な物言いなど、全身で上記のような心の声を表現していたと言えるでしょう。記者から「議員辞職や離党は?」と質問されたときも、半笑いで「そこまでは考えてません。現状ですよ」と答えるなど、いわゆる「反省の色」をカケラも出していませんでした。
もうひとり、私たちに「こんな謝り方だけはしてはいけない」と教えてくれているのが、学歴に関する疑惑が盛り上がっている某市の市長です。大学を卒業してようが除籍だろうが、そのこと自体はどっちでもかまいません。とくに市民以外にとっては。あの話題がこれだけ長く日本中の注目を集めているのも、ひとえに「謝り方」を間違ったからです。
背後でいろんな勢力や思惑がうごめいている気配はありますが、最初の段階で「あの記述は間違いでした。ごめんなさい」と謝っておけば、もっと早く穏やかに収束していたでしょう。「謝るチャンス」を逃したことで、卒業証書のチラ見せという衝撃的な事態の勃発につながり、やがて百条委員会だの何だのと、どんどん話が大きくなっています。