終戦後、新聞社の上司に相談したところ、偶然引き合わされたのが花森安治である。これが運命の出会いとなる。花森は東京帝大卒で在学中から帝国大学新聞の編集部員としてその名を轟かせ、卒業後は化粧品メーカーを経て満州北部へ出征。帰国後は大政翼賛会に入り、宣伝部員として戦意高揚ポスターや標語を作成したと伝えられる天才編集者である。
鎭子の思いを知った花森は、彼女にこう語りかけたという。
「ひとつ約束してほしいことがある。それは、もう二度とこんな恐ろしい戦争をしないような世の中にしていくためのものを作りたいということだ(中略)もしみんなに、あったかい家庭があったなら、戦争にならなかったと思う……」(前掲書より)
こうして鎭子と花森の本作りが始まった。鎭子は東京・銀座に出版社・衣裳研究所を設立し、1946年、花森を編集長に据えて『暮しの手帖』の前身となる『スタイルブック』を創刊した。
※週刊ポスト2016年4月15日号