ライフ

吉田修一「この世界は一人ひとりの小さな戦いで出来ている」

【著者に訊け】吉田修一さん/『橋を渡る』/文藝春秋/1944円

【本の内容】
 セウォル号の沈没、塩村文夏都議へのセクハラ野次や江角マキコの落書き事件など、本作には世間を賑わせた、2014~2015年に実際に起こった出来事が登場する。そうした事件に時に眉をひそめ、怒りもする、東京で暮らす登場人物3人が直面する「正しさとは何か」という迷いと、その先にある決断が、最終章の「冬」で予想もしない驚きの展開を辿る――。

 登場人物の一人が、次のように語るシーンがある。

「あの時に変えればよかったと誰もが思う。でも今変えようとしない」

 吉田修一さんの最新作である本書は、この言葉のように、未来を変えることの意味、さらにはそのために世界をどう捉えるべきかを、私たちに問いかけてくる。

「例えば、国や世界を揺るがす大事件がある。でも、それだって突き詰めていけば、一人の人間の小さな行動に辿り着くのではないでしょうか。この小説を描きながら、そのことをずっと意識していました」

 春、夏、秋、そして冬。四部構成の物語には、三人の主人公が登場する。営業マンの明良、都議会議員の妻・篤子、テレビ局に勤める謙一郎――。変わりゆく東京の街、日常の中に潜む不穏な気配、近しい人への不信と「正しさ」とは何かという葛藤。三つの物語に仕込まれたテーマと伏線が、意外過ぎる最終章で一気にすくい取られていく展開に圧倒される。

 特徴的なのは都議会のセクハラ野次問題など、『週刊文春』での連載中に実際に世を騒がせたニュースが、物語の重要な仕掛けとして活用されていることだ。とりわけその報道を日々気にしながら家族を守ろうとする篤子が、次第に抱えていく狂気に引き込まれた。

 また、執筆を続けていた当時、日本が「戦後70年」を迎えていたことも、物語に大きな影響を与えたと吉田さんは続ける。

「そのニュースや報道に接しながら、一方でぼくらには70年後もある、と思ったんです。70年前の人とぼくらは、話が通じないほど異なる世界を生きているわけではない。ならば、70年後の世界にも、きっと同じような人々が生きているはずです。そして、70年前の誰かの小さな行動が、歴史を大きく動かしたいくつもの事例をぼくらは知っている」

 だからこそ物語の終盤、夫の不正を知ってしまった篤子が、ある決断を下すシーンに多くの読者は救われる思いを抱くはずだ。

「ぼくは6:4で未来を楽観しているんです」と吉田さんは言う。ならば、本書は「ユートピアでもディストピアでもない未来」と自ら語る世界に向けて、吉田さんが描いた希望の物語なのだろう。

「人は『自分が何をしても変わらない』と言うけれど、本当は違う。この世界は一人ひとりの小さな、たくさんの戦いで出来ているんです」

 現在と未来とをつなぐ橋。三人は様々な形でそれを渡る。“今”を生きる私たち自身がこの世界とどう接していくかを、読後に深く考えさせられる一冊だ。

(取材・文/稲泉連)

※女性セブン2016年5月12・19日号

関連記事

トピックス

今季から選手活動を休止することを発表したカーリング女子の本橋麻里(Xより)
《日本が変わってきてますね》ロコ・ソラーレ本橋麻里氏がSNSで参院選投票を促す理由 講演する機会が増えて…支持政党を「推し」と呼ぶ若者にも見解
NEWSポストセブン
白石隆浩死刑囚
《女性を家に連れ込むのが得意》座間9人殺害・白石死刑囚が明かしていた「金を奪って強引な性行為をしてから殺害」のスリル…あまりにも身勝手な主張【死刑執行】
NEWSポストセブン
失言後に記者会見を開いた自民党の鶴保庸介氏(時事通信フォト)
「運のいいことに…」「卒業証書チラ見せ」…失言や騒動で謝罪した政治家たちの実例に学ぶ“やっちゃいけない謝り方”
NEWSポストセブン
球種構成に明らかな変化が(時事通信フォト)
大谷翔平の前半戦の投球「直球が6割超」で見えた“最強の進化”、しかしメジャーでは“フォーシームが決め球”の選手はおらず、組み立てを試行錯誤している段階か
週刊ポスト
参議院選挙に向けてある動きが起こっている(時事通信フォト)
《“参政党ブーム”で割れる歌舞伎町》「俺は彼らに賭けますよ」(ホスト)vs.「トー横の希望と参政党は真逆の存在」(トー横キッズ)取材で見えた若者のリアルな政治意識とは
NEWSポストセブン
ベビーシッターに加えてチャイルドマインダーの資格も取得(横澤夏子公式インスタグラムより)
芸人・横澤夏子の「婚活」で学んだ“ママの人間関係構築術”「スーパー&パークを話のタネに」「LINE IDは減るもんじゃない」
NEWSポストセブン
LINEヤフー現役社員の木村絵里子さん
LINEヤフー現役社員がグラビア挑戦で美しいカラダを披露「上司や同僚も応援してくれています」
NEWSポストセブン
モンゴル滞在を終えて帰国された雅子さま(撮影/JMPA)
雅子さま、戦後80年の“かつてないほどの公務の連続”で体調は極限に近い状態か 夏の3度の静養に愛子さまが同行、スケジュールは美智子さまへの配慮も 
女性セブン
場所前には苦悩も明かしていた新横綱・大の里
新横綱・大の里、場所前に明かしていた苦悩と覚悟 苦手の名古屋場所は「唯一無二の横綱」への起点場所となるか
週刊ポスト
医療的ケア児の娘を殺害した母親の公判が行われた(左はイメージ/Getty、右は福岡地裁)
24時間介護が必要な「医療的ケア児の娘」を殺害…無理心中を計った母親の“心の線”を切った「夫の何気ない言葉」【判決・執行猶予付き懲役3年】
NEWSポストセブン
近況について語った渡邊渚さん(撮影/西條彰仁)
渡邊渚さんが綴る自身の「健康状態」の変化 PTSD発症から2年が経ち「生きることを選択できるようになってきた」
NEWSポストセブン
昨年12月23日、福島県喜多方市の山間部にある民家にクマが出現した(写真はイメージです)
《またもクレーム殺到》「クマを殺すな」「クマがいる土地に人間が住んでるんだ!」ヒグマ駆除後に北海道の役場に電話相次ぐ…猟友会は「ヒグマの肉食化が進んでいる」と警鐘
NEWSポストセブン