だがここで、原爆資料館の運営母体である広島平和文化センターの理事長を2013年まで務めていた、スティーブン・リーパーさんの体験をその著書「アメリカ人が伝えるヒロシマ」からご紹介したい。
リーパーさんはもともと広島にも核問題にも関心が無く、広島にはコンサルタントの仕事で住み始めた。原爆資料館に友人に連れられていっても、原爆を「受けた側」の苦しみについて理解することができなかったという。
広島に住み始めて2年ほどたったとき、友人の強い勧めで被爆者の体験を集めた「原爆の子-広島の少年少女のうったえ」という本を読んだ。そこにある女の子の話が掲載されていた。原爆投下直後、女の子は破壊された家から出ることはできたが、お母さんが建物の下敷きになってしまった。炎が激しく迫ってくるなか、「逃げろ」という母親と「行かない」という女の子。しかし自分の服が燃え始めて、女の子は本能的に走り出した。
この話を読んでいて、リーパーさんは涙が流れたという。
《この話を読んだとき、なぜかその場面に自分自身が入ってしまいました。自分がその女の子の立場にあったら……。あるいは、そのお母さんの立場にあったら……》
《この経験には自分でも驚きました。今でもその読書体験を不思議であったと感じています。/このときの心の変化は「徐々に」ではなく、「光のように一瞬」のことだったと記憶しています。(中略)このときから「受けた側」から原爆を見られるようになったと思います》
そしてリーパーさんは平和運動に身を投じていく。
被爆者と語らい、握手し、その肩を抱いたオバマさんの心にも、光の一瞬が訪れたことを祈る。