つまみは乾き物と缶詰類のみというこの店だが、ないはずの刺身を肴に、グラスを傾ける別の男性一人客。
「この焼酎ハイボール、好きですねえ。甘くないのが気に入っていて、本気でうまいと思いますよ。だから、年中飲んでます。こんな酒があって、こんな店があって、おいちゃんたちがいて、満足だね。刺身? ああ、これね。2軒先の魚屋で買って来ちゃいました」(60代、自称萬仕事引受人)
「やかんを載せていた石油ストーブがテーブルへと役割を代え、天井の扇風機が働く準備を始める萬屋商店のこの季節は気分が浮き立ち、一段と酒がうまくなります」(40代、IT系)
一夫さんにも、酒が好きかどうか聞いてみたら、予想しない展開になって、場がさらに盛り上がった。
「酒は嫌いじゃないんで、7時を過ぎたら飲むことはあります」(一夫さん)
「そうかしら。いつも6時には飲んでるでしょ」(路子さん)
「朝から飲んでるところ見たことあるよ」(常連客)
「わかったわかった。ぼくは基本的には飲まないと書いておいてもらえますか(笑い)」
そんな皆の他愛ないやりとりを、笑いを浮かべたような目で見上げながら黙って聞いている無口な権三。角打ちの魅力をそのまま絵に描いたようなシーンだ。
「ふたりの息子は他の職についているし、5代目に関しては、霧の中です。でも、少なくともあと5年は閉めることはありません。体力勝負です」と、力強く宣言する一夫さん。
「こんな面白い店、よそにないからね。まだまだ通わせてよ」と、大向こうから声がかかった。