◆自分の死をどう死ぬべきなのか
やがて楠木は元同僚の船長からヨットでの世界一周に誘われたり、小樽で沖縄料理の店を出す計画を立てたりはするものの、結果的には全く違う選択をする。
「小樽の保安部は第1区といって、今は尖閣派遣など、南の海にいる方が多い。それで彼の得意料理も沖縄料理にしたんですが、結局は料理も冒険も人生の主題にはなり得なかった。
僕も台湾で出会った若石健康法の資格を取り、『健康と癒しの書斎』という店でいろんな人の足を揉んできたけれど、やはり小説を書く喜びには代えがたい。彼の〈別れ際の美学〉が必ずしも正しいとは思いませんが、楠木はそういう男なんです(笑い)。世間がどう言おうと、この人はこうと書くのが、小説ですから」
本稿では確かに楠木らしくはあるその選択に関して、ペッカが言う〈観念的〉という表現にむしろ注目したい。人間誰しも生きている間は死を観念でしか捉えられず、頭でっかちで観念的な死という壁が常に立ちはだかる。終活を重ねるほど、独りよがりともいえる美学に閉じこもる楠木の姿は、自分の死をどう死ぬべきかを巡って堂々巡りを続ける私たちの姿でもあるのだ。
「僕も正直、楠木の美学に魅力は感じる。でも家族がいるから無理だとも思うし、あとはもうオーロラを見てもらうしかないんです。僕もカナダや北欧で何度も見ていますけど、ホントにあれは問答無用の逆転装置というか、人生観が一瞬で変わってしまうんです」
観測村に姪夫婦を訪ねた楠木はエンディングノートに思いの丈を綴り、想像を絶するオーロラの神秘に触れてなお理想の死に囚われた。そんな彼に果たして何が起きるかが見物である。
「彼が航海中によく読んだ本として三島や谷崎の名を挙げるのも一種の伏線で、自分で物語を作りたいタイプの彼はその影響を受ける一方、人生の終盤では何が起きてもおかしくない現実に触れたことで、尚更潔い死に惹かれたんだと思う。
例えば僕の母国スイスやオランダでは安楽死が既に認められていて、それも神の思し召しだと解釈されている。僕自身の考えは信仰のない楠木とは違いますが、人は自分の理想の死を死ぬのが幸せなのか、それとも都合よく死ねないようにできているからいいのか、考えれば考えるほど結論が出ない問題だから、小説に書くのかもしれません」
本書はオーロラという逆転装置あってこその物語ではあるが、だからといって彼が死について考えた意味が失われることはない。人の生きた意味が死によって色褪せることがないように。
【プロフィール】David Zoppetti/1962年スイス生まれ。ジュネーヴ大学を中退し来日。同志社大学文学部卒。1991年テレビ朝日入社、「ニュースステーション」等で活躍する傍ら、1996年『いちげんさん』ですばる文学賞を受賞、芥川賞候補に。2000年『アレグリア』で三島賞候補、2001年『旅日記』で日本エッセイスト・クラブ賞。現在リフレクソロジストとして「健康と癒しの書斎」経営。171cm、78kg、A型。
■構成/橋本紀子 ■撮影/国府田利光
※週刊ポスト2016年7月1日号