教育の現場では国柄が出るものだ。中国の情勢に詳しい拓殖大学海外事情研究所教授の富坂聰氏が指摘する。
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悪いことをしたら謝罪するのは当たり前のこと。だが、その謝罪がある種の懲罰であれば話は違ってくる。行為を巡って「行き過ぎか」、「正当か」という議論が社会に喚起されることになるからだ。はたしてこのケースはどうだろうか──。
中国・四川省で大学生を罰したある行為が大きな話題を呼んだのは5月末のことだ。きっかけはネットに流出した1枚の写真。そこには一人の若い女性教師とびっしり文字で埋まった一枚の紙が写っていた。
書かれていたのは、四川省にある四川工商学院の学生が書いた反省文だとされる。しかし、反省文といっても書かれているのは「私は間違いを犯しました」という一文がひたすら繰り返されているだけのもので、異様な雰囲気を帯びている。
実はこれ、授業をサボタージュした学生25人が命じられて書いたもので、「私は間違いを犯しました」という一文が計3500回も繰り返されている。書かせたのは同学院の補導員である付瑞紅という女性。いったい何が起きたというのだろうか──。
ネットで論争が盛り上がるのを受けて取材に動いた『新京報』の記事によれば、これは授業をサボりがちな学生に喝を入れるために行われた罰であったという。だが、罰を貸した補導員の説明によれば、学生が緩んでいるという問題を受け、生徒たちにはあらかじめ「授業をサボった時間に合わせて一秒につき一回『私は間違いを犯しました』と書かせる」と通告していたというのである。
付瑞紅は最終的に提出された反省文を見て心が痛み、「行き過ぎたところがあった」とはしたものの、あくまで「学生の将来のためにやったこと」と記者にこたえている。
日本でも起こりそうな話だが、自己批判で有名な国の出来事だけに社会の反応も過敏になったのだろうか。補導員という立場は生徒の政治思想から日常生活、党の建設に関する教育までを管理する役割を担うだけに、なおさらということか。