弘兼氏も1947年生まれの団塊世代で、子供の頃から激しい競争の渦中にあった。
「僕が生まれた山口県の人口10万人にも満たないような町の学校でも、1クラス50人が8組あった。東京では10何組とかザラにあったそうです。大学受験の時は、私立の競争率は軒並み30倍という有り様でしたよ」
狭い教室に押し込まれ、教室の数が足りずにプレハブ小屋を建てて対応した学校もあったほどだ。部活でもレギュラーになれるのはひと握りだった。
そんな彼らには理想があった。仕事ができ、女性にモテて、同僚や後輩たちからもリスペクトされ、最後には社長に抜擢された島耕作だ。彼に憧れた団塊世代は多いが、現実の団塊エリートたちは、島耕作のように信頼と尊敬を得ることはできなかった。弘兼氏が続ける。
「島耕作自身は、社長になろうと考えたことはなく、気がついたら周りに押し上げられていた。現実の団塊エリートは、人間関係を大切にしてこなかったから、支えてくれる人が少ないのだと思います」
※週刊ポスト2016年7月8日号