大正15(1926)年に竣工し、都内で2番目に古い木造駅舎だった国立駅も中央線の連続立体交差事業を名目に解体された。しかし国立市は、「国立駅舎は単なる鉄道を乗り降りする場所ではなく、市民のシンボル的な存在」と捉えて、市民とともに駅舎の保存運動を展開。国立市は保存・復原のためにJR東日本から駅舎を買い取った。
「国立駅舎の保存・復原の総工費は約9億6000万円。これら巨額の費用を市の一般財源から賄うことに市民の理解は得られません。国立駅舎の保存・復原は都市再生事業の指定を受け、”まちづくり交付金”がおりることになったのです。不足分は基金とふるさと納税で賄い、平成32(2020)年までに駅隣接地に駅舎を復原する計画です」(東京都国立市国立駅周辺整備課)
原宿駅や国立駅といった、文化財として価値の高い名駅舎といえども老朽化には抗えない。時代とともに耐震や防火の基準は厳しくなり、バリアフリーといった新しい概念まで加わる。だから昔の面影を残す名駅舎が、環境の変わった現代で生き残ることは難しい。
なにより、名駅舎が生き残るのにもっとも高いハードルが、経済性だ。近年、利用者の多い駅は、食事や買い物ができる駅ナカをつくったり、ホテルを併設したりするなど、稼ぐことに余念がない。実際、新しい国立駅にはJR東日本系のショッピングモール「nonowa」が隣接し、コンコースから直結する専用改札まで設置されている。新時代の駅は、交通施設というよりも集客施設という趣が強い。利用者も駅舎のデザインより、駅の中にカフェやスーパーなどがあった方がいいと利便性を重視する傾向が強くなっている。
駅に求められる役割が変わる中、東京駅は名駅舎として復原された稀有な例ともいえる。明治の大建築家・辰野金吾がデザインした東京駅丸の内駅舎は、その見た目から”赤レンガ駅舎”と呼ばれてきた。駅舎の象徴だった丸型ドーム屋根は戦災で焼失し、戦後復興時に仮復旧として八角屋根で再建されたが、元の丸型ドーム姿に戻されぬままだった。
平成24(2012)年、ようやく東京駅の丸型ドーム屋根は復原されたが、これらの工費500億円は空中権を売却して捻出された。空中権とは、使わなかった容積率分を周辺のビルなどに販売できる権利のこと。高層建築ではなかったことが幸いした。