今年の夏は八重山商工は大会前の予想では優勝候補に入っていなかった。もともと小さな島の小さな学校だ、今年の野球部員は3学年合わせても24人しかいない。
だが八商工は初戦から躍動した。昨秋の県大会優勝校である八重山高校を8-2で破ると、2回戦は優勝候補の一角である第1シードの糸満も3-2で下した。3回戦は締切をほったらかして沖縄に駆けつけた私の目の前で、宮古を4-0で破る。興南や沖縄尚学、浦添商業など県内の有力校が次々と敗れていき、「今年はひょっとして八商工あるぞ」という声も聞かれるようになっていた。次の準々決勝さえ乗り切れば……と、私が欲をかいたのが悪かったのかもしれない。7月10日、嘉手納に延長11回、1-2と力尽きた。嘉手納はこのあと初の夏甲子園出場を決めた。
試合後に報道陣の前に現れた伊志嶺監督は、私の予想通り、穏やかな笑顔だった。
「甲子園に行くためにはもう少し精進が足りなかった」
「負けて初めて気づくことがあります。この負けが選手たちの社会人生活に必ず生きるでしょう」
「甲子園に出たあとの10年は苦しいことばかりでした。ただ好きな野球をこんだけできたのは嬉しいです。監督生活13年、いろんな人に支えてもらって幸せです」
監督の表情をテレビカメラが追い、言葉を発するたびにカメラマンの切るシャッター音が一斉に鳴る。監督が「野球の神様はいる!」と力強く放ったあと別の質問が差し込まれて話が別方向にそれた。それが私には気になったので改めて質問した。
──野球に神様がいると、なぜ思われるんでしょうか。
「ワシみたいなもんが高校野球の監督やらせてもらってるからだよ!ギャハハハ!」
取材の輪がほどけると、待ちかねたファンたちとの撮影タイムが始まった。金城長靖、甲子園に出たときのキャプテン・友利真二郎も子どもを連れて観戦に来ていた。私が真ちゃんの突き出たお腹をさすると「すっかりこんなになりました」と笑い、長靖に「お前、俺のこと覚えてるか」と訊ねると「覚えてますよ」と、高校時代と変わらぬはにかんだ表情で答えた。
球場を出たあとそのままホテルに帰る気にもなれず、私は地元記者に訊ねて近い海までタクシーを飛ばした。掘っ立て小屋みたいな店でビールを飲みながら、家族連れの海水浴客が波打ち際で遊ぶ姿を眺めた。その家族の姿に長靖と真ちゃんの子どもたちがかぶり、急に寂しさがこみ上げてきた。
若い彼らは家族という新しいチームを持ち、次のステージに生活が移っている。この10年間、「もういっぺん甲子園」と同じことを繰り返してきたのは伊志嶺さんだけじゃないのか。そして毎年、「今年も残念でしたね」と負けるたびに連絡をしていた私も同じことばかり繰り返してきた気がする。草むらでみんなで野球をしていたらひとりずつ消えていったような、取り残されたような気分だ。