2001年には上級生が下級生をバットで殴り6ヶ月の対外試合禁止処分に。2008年には当時の監督が部員に暴力を振るって解任される事件も起こった。2013年2月、やはり上級生による暴力事件が発覚して、6ヶ月の対外試合禁止が下る。この件が廃部騒動の引き金となった。
事件が起きる度に、監督を交代させ、学園は再発防止策を講じた。野球部を含む体育コースの生徒を一般の生徒と同じ校舎に移し、暴力事件の温床といわれた、1年生が上級生の世話をする付き人制度も2000年代前半に廃止した。理不尽なまでに存在した“鉄の掟”を少しずつ排除していったものの、抜本的な解決にはならなかった。
野球部の未来を決める学園理事会や教団幹部からすれば、PLの悪評を振りまく野球部の体質に業を煮やしたというのが本音だろう。しかし、野球経験のある人材を監督に据えず、部員やその保護者やOBらに詳しい説明をしないようなやり方しかなかったのだろうか。
私は教団信者の激減および学園の生徒数減少も、廃部問題と大きく関係があると指摘してきた。全国に400あった教会は今では半数以下になった。信者が減れば、その子供が通う学園の生徒数も大きく減少する。
2015年度の入試では、外部受験者が28人しかいなかった。かつてのマンモス校の影はない。硬式野球部を続けられる体力が、今の教団および学園にないのが実状である。