〈だから、ぼくは君たちに憎しみを贈ることはしない。君たちはそれが目的なのかもしれないが、憎悪に怒りで応じることは、君たちと同じ無知に陥ることになるから。君たちはぼくが恐怖を抱き、他人を疑いの目で見、安全のために自由を犠牲にすることを望んでいる。でも、君たちの負けだ。ぼくたちは今までどおりの暮らしを続ける〉
〈息子とぼくは二人になった。でも、ぼくたちは世界のどんな軍隊より強い。それにもう君たちに関わっている時間はないんだ。昼寝から覚める息子のところへ行かなければならない。メルヴィルはまだやっと十七カ月。いつもと同じようにおやつを食べ、いつもと同じように遊ぶ。この幼い子供が、幸福に、自由に暮らすことで、君たちは恥じ入るだろう。君たちはあの子の憎しみも手に入れることはできないのだから〉
さて、どうお感じだろう。男は高い知性の持ち主である。犯人と同じ土俵にのぼらないことが、犯人を負かす唯一の道とし、それを実践しようとしている。最大のテーマは、自分の中にある憎しみの感情との戦いだ。憎しみにかられて、現実を見失ってはいけない。
そう自身に言い聞かせる、自身を説き伏せる文章が、薄い一冊の中に詰まっている。知的苦悩の軌跡をまとめた本ともいえよう。
一読を薦めたい好著だが、でも、私たちはみんなこれほど知的でいられるか。男には、妻との間にできた一歳五か月の息子が残された。ママ、パパ、まんま。まだ三つの言葉しか言えない保育園児。男には、その世話の役割がある。ママがやっていた育児を自分が代わりにやらなければならない。それは重い責任だが、男にとっての幸いでもある。
なぜって、もし妻だけでなく息子も殺されていたら、この男はもう〈今までどおりの暮らしを続ける〉ことができないから。自分一人だけ残されたとしたら、この男だって過激派組織ISと戦う別の過激派になっていてもおかしくない。あるいは心を病む。高い知性もその位には頼りないものだと思う。
日弁連の「宣言案」では、被害者支援の重要さも説くという。そこはなにより重要だ。とってつけじゃない支援の方法を提示してほしい。支援しきれない被害者感情があることも踏まえてほしい。その上で、死刑廃止の議論を喚起してもらいたい。