子役時代から人気のあったナスターシャ・キンスキーは1984年の『マリアの恋人』で一皮むけた姿を見せ、13歳の時の『ラ・ブーム』で一躍売れっ子となったソフィー・マルソーも1986年の『地獄に堕ちて』でスタイルの良さを見せつけた。1980年代、ヌードはステップアップの条件となっていった。
1990年代になると、ヌードの披露はもはや女優人生に欠かせないものになる。1992年、シャロン・ストーンは『氷の微笑』でリアルな濡れ場を演じ、全世界で3億5000万ドルを超える興行収入を生み、確固たる地位を築いた。
「脱ぐことで女優としての息が長くなり、一度限りではなく複数回、裸体を晒す女優が増えました。完全に自己表現の一つとして認められた」(秋本氏)
アンジェリーナ・ジョリーは1998年にテレビ映画『ジーア/悲劇のスーパーモデル』でゴールデングローブ賞主演女優賞を獲得した後も、2001年の『ポワゾン』や2004年の『テイキング・ライブス』などで裸になった。アイドルのイメージの強かったアン・ハサウェイは2005年に『アン・ハサウェイ/裸の天使』、『ブロークバック・マウンテン』で立て続けにヌードを披露し大人の女優へ脱皮すると、2010年の『ラブ&ドラッグ』でも肉体美を見せてくれた。有名女優がなかなか肌を見せない日本と違い、なぜアメリカではヌードが当たり前の状況になっているのだろうか。
「監督やプロデューサーが女優と直にやり取りができ、芸能プロダクションやスポンサーといった障壁がないことも大きい」(秋本氏)
これからも洋画女優は裸になることを厭わない。
※週刊ポスト2016年10月7日号