◆具体的な台詞で心理を形にする
本書ではひたすら息子の無事を願う母と、我が子を信じる父の対立構造が他人事とは思えぬ緊張感を醸し、〈犯人だったら困る〉と、父親にだけ打ち明ける雅に、貴代美は女の小狡さを感じていた。そして規士が犯人だった場合、社会的立場を失う夫を〈あなたは、世間体第一で考えてるのよ〉と罵る彼女自身、最も恐れる事態から目を背けたくて、その望みに縋るかのようだ。
「2人とも反対の可能性は重々承知しつつ、そう望むことで何とか自分を保っているんですよね。一方雅は子供ならではの本音を言える部分があって、それが一つの波風にもなる。妹であろうと家族である限り、無関係では済まされないわけです」
そんな貴代美を心配して、実家から手料理を手に駆けつけた老母が、〈幸せなんて感じなくたってね、本当に失ってはいけないものを守っていくのが大事なの〉と諭すシーンや、それを聞いて〈自分の子どもが、この先不幸になるとしても、母はそれを許してくれるという〉〈ならば、自分は何でもできると思った〉と貴代美が腹を括るシーン。さらに覚悟を決めた彼女が、息子を信じる中学の親友〈涼介〉と町で再会するシーンが秀逸だ。
涼介は規士を脅していた不良一味の情報を仲間と集め、今から通報に行くという。しかし貴代美は〈そんなことしてどうなるの?〉〈規士にまで、その真っすぐなところを押しつけるのはやめて〉と言い放ち、涼介を絶句させるのだ。