父は母の死によって、生活が変わることがガマンできない。「電気釜で炊いた飯が食えるか」と、白米を文化鍋で炊けと言う。みそ汁の具は2種類。みそは合わせみそ。だしは煮干。漬物が食卓にあること。
それから今まで通り、毎日会社に弁当を持っていくと言う。私が通っていた学校もまた弁当だった。それをすべて中2の私に父は、「やれ」と言う。「やってできないことはないだろ」と、顔を見れば責めたてた。
ただでさえ、私は自分が目の当たりにした現実をどう整理したらいいのかわからず、地に足がつかない。できれば自分の殻に隠れていたい。
なのに、毎晩のように、「妻に先立たれて心配」と、父の友たちが押しかけてきた。今思えば、いてもたってもいられない父が呼びよせていたのだと思う。
最もこたえたのは母の自死を恥じた父から、「事故死にしとけ」と嘘を強要されたことだ。
母の死因に首を傾げた父の友達は、父のいないところで第一発見者の私に聞く。15才の娘なら本当のことを言うだろうと、根掘り葉掘り、聞き出そうとした。
15才の胃は、キリキリと痛み、初めて鮮血を吐いた。父にそれを訴えたところで、「仕方ないだろ」という返事しか返ってこない。父とふたりの生活に耐えかねた私は、姉に助けを求めた。
「帰ってきてほしい」
父と姉と私。3人の関係性を思えば、その後にどんなことが起きるか、予測がついたのに、私は疲れ切っていた。もう限界だったのだ。
案の定、それはわが家の新たな地獄の釜のふたを開けることになる。
(つづく)
※女性セブン2016年10月20日号