◆人の生きる様を書くのが小説だ
戦のシーンでは、生身の人間同士が切り結ぶ恐怖がリアルに描かれる。小十郎の陣営に加わった藤次は、初陣で大小便を漏らすが、実戦を重ねるうちに、〈出そうとしても、糞尿など出はしない〉ようになる。後に武名をとどろかす小十郎にしても、初めの戦では、味方に腕を持たれてはじめて自分がふるえていることに気づくありさまだ。群雄割拠の時代を描くが、作者が複雑な時代背景をわかりやすく説明することはない。
「ここはどこ、いまは何年っていうのは描写じゃない、説明です。できる限り説明は排除したい。小説っていうのは、最初に人間がいて、その人間が立ち上がってくるから読む人も興味を持つ。そうすると背景も少しずつわかってきて、全体の構造も見えてくる。歴史小説の書き方はそうあるべきだと思う」
後世の目で裁くかたちで善悪の線を引くこともしない。歴史では凡君とされる将軍足利義尚も、〈冬の虫と語り合〉うことが好きで、両親となじめない孤独な少年として描かれるし、一揆で打ち滅ぼされる守護、富樫政親もまた、〈心を開いて語り合える相手〉を捜す、一人の青年としてこの場に存在している。
戦乱の世は強者の共存を許さない。状況が変われば、かつてはともに戦った相手と切り結ぶことになり、家臣を死なせないために戦いを避けようとする小十郎も、出陣せざるを得なくなる。青年の成長物語である『魂の沃野』はまた、喪失の物語でもある。
「青春ってものを考えると、喪失だったなあ、って思うんだよ。大事な友達だってなくしたし、恋人もなくした。純粋なものをいくつもなくしていった。ただ、それが本当に失ったことになるかどうか、というのはその後の生き方による。そういう、人の生きる様を書くのが小説だろうという気がしますね」
全五十一巻の「大水滸伝」シリーズを十七年かけて完成させ、今度は大陸の西に目を向け、テムジン(ジンギス・カン)の物語を描く。
「そんなに土地を広げるんですか? って言われるけど、所詮、地球だろ? おれはSF書けないし(笑い)。一人の人間の心の中のほうがずっと無限の世界ですよ」
【プロフィール】きたかた・けんぞう/1947年佐賀県唐津市生まれ。中央大学卒。在学中に作家デビューし、1981年、『弔鐘はるかなり』で注目される。1983年、『眠りなき夜』で吉川英治文学新人賞。1989年、『武王の門』で初めて歴史小説を手がけ、1991年、『破軍の星』で柴田錬三郎賞、2004年、『楊家将』で吉川英治文学賞、2006年、『水滸伝』で司馬遼太郎賞、2011年、『楊令伝』で毎日出版文化賞特別賞、17年の歳月をかけ完結した全51巻の「大水滸伝」シリーズで今年、菊池寛賞を受賞。171cm、78kg、A型。
■構成/佐久間文子 ■撮影/国府田利光
※週刊ポスト2016年11月11日号