「歴史小説を書こうと本を読んで勉強し始めたとき、一番気になったのが独立国のことなんです。日本には歴史上二つだけ存在して、一つは九州に、征西府というのが十年続いている。もう一つが加賀。地の利があって、海の幸、山の幸があり、平野でコメがとれる。そういう場所を自治で百年、守り抜いたというのは大変なこと。
歴史の本にもあまり詳しくは書かれてなかったけど非常に魅力を感じて、その二つを調べたくなった。征西府は初めての歴史小説(『武王の門』)で書いて、日本の歴史を書くのはそろそろ終わりかな、と感じたとき、最後に一向一揆を書いてみようと思った」
守護の圧政に耐えかねて浄土真宗の信徒である百姓たちが一揆を起こす、といった教科書的な見方ではなく、複数の集団間の複雑なパワーバランスによって動いていくものとしてこの間の歴史が描かれている。
〈「加賀は、ひとつの岩ではない。石がいくつも集まっておる。その石さえも罅(ひび)だらけで、信仰という水が滲みこんでいく」〉
将軍の下での国家統一を夢見る政親でさえもそのことは実感しており、こう語る。だからこそ宗教を恐れ、過剰に反応して力で抑えつけようとする。
中学、高校と、北方氏は東京の仏教(浄土宗)系の学校で過ごした。
「中学生のとき、増上寺の屋根に上って鳩を捕まえたことがあったんだ。屋根から降りたとたん、椎尾弁匡という有名な大僧正のところに引っ立てられていったんだけど、この人はにこにこ笑って『そうかそうか、鳩を捕まえたのか、すごいねえ』って。
ただ、帰りぎわに『人間というのは、生きていると何があるかわからない。立ちすくむしかできないこともあるが、そのときはひとことだけ南無阿弥陀仏と唱えてごらんなさい』と言った。その言葉はいまだに頭に残ってる」
念仏の本質はそういうものだと思うと北方氏。この時のやりとりは、蓮如と小十郎の応酬に反響している。