安倍首相は潰瘍性大腸炎を悪化させて、わずか1年で退陣するが、今井氏が安倍氏の信頼を増していったのはその後だった。
失意の底にあった安倍氏とは対照的に、今井氏は大臣官房総務課長、貿易経済協力局審議官、資源エネルギー庁次長と順調に出世を重ね、「次官候補」の1人とみられていたが、その間も霞が関では“終わった政治家”とされていた安倍氏と一緒に高尾山に登山するなど関係を絶やさなかった。そして安倍氏が自民党総裁選に再挑戦した時も強く出馬を勧めたとされる。
安倍首相が総理に返り咲くと、エネ庁次長として福島原発事故後のエネルギー政策づくりに奔走していた今井氏を、首席秘書官に抜擢する。受諾は“官僚の最高位”である次官への道を諦めることを意味するが、今井氏は首を縦に振った。信頼の厚い「総理の懐刀」の誕生だった。
新自由主義経済政策であるアベノミクスも、今井氏の血脈と無縁とは思えない。
前述の『官僚たちの夏』では、高度成長期、激化する日米繊維摩擦を舞台に、繊維産業保護を唱える通産省の経済統制派官僚と市場開放すべきという自由経済派官僚がぶつかっていくストーリーが描かれた。善衛氏は当時、自由経済派官僚のトップであり、輸出主導の高度成長を加速させた。甥の今井氏ら経産官僚がアベノミクスを推進するのは50年前の“今井イズム”へのオマージュにも映る。
※週刊ポスト2016年11月18日号