◆元横綱の関与する金融機関
書簡にはこうある。
〈佐川印刷グループの資金はすべてまかすからと木下会長に言われてやってきました。私が資金を投資したのは木下会長の裏金づくりのためです〉
木下会長とは、佐川印刷の創業者である木下宗昭氏(73)のことだ。木下氏は1970年にキノシタ印刷を設立。佐川急便に飛び込み営業をして、創業者の佐川清会長(故人)に気に入られたことを機に急成長し、佐川急便の出資を受けたことから社名を佐川印刷に変更した。
湯浅氏は1983年9月、佐川印刷に中途入社。財務・経理畑を中心にコツコツと勤め上げ、2003年4月に財務・経理部長となり、2012年4月から総務・財務・経理の取締役に就任した。
「会社の金庫番とも言うべき立場で、木下会長の信任は厚かった」(同社関係者)
湯浅氏は、不正流用は木下氏の指示によるものだったと主張する。書簡はこう続く。
〈以前から自由に動かせる資金はないのかと求められて投資案件で得たお金を裏金にあてる予定でした。細かいお金の出金は説明していませんがプロジェクトの概要は報告しています。レースサーキットもゴルフ場も木下会長から引きついだ案件です〉
湯浅氏は子会社の資金約90億円を使って、さまざまな事業に投資していた。最大の案件はシンガポールに国際的なサーキット場を作るという壮大なプロジェクトに関するもので、54億円が投じられている。結局、建設は頓挫し投資資金は焦げ付いた。
ほかに京都府のゴルフ場買収資金に13億円、元横綱の関与するモンゴルの金融機関に4億円という意外なものもあった。湯浅氏はこれらの投資について、会長のお墨付きを得ていたと主張する。
その後、投資案件に絡み外部から情報提供がもたらされたことで、社内で不正流用が発覚。だがその時点でも、当初は木下氏が湯浅氏を守ろうとしていたと彼は言う。
〈○○○(情報提供者)が訳のわからないレターを会長に送ってきた時に事件にしないし守ってやるから資金の回収に全力をあげるように言われて、頑張って回収を目指し、動いていたのになぜ私が一人でやったことになるのか理解できません〉
書簡は最後に、こんな“告白”で締め括られている。
〈また裏金の一部用途は大口得意先の佐川急便株式会社へのものです〉
いったい何を根拠に、彼はこのような主張をしているのだろうか。