東京へ出てからの村山は、ほとんど毎日のように将棋連盟に顔を出し、あっというまに控室の主となった。どんな日にも「桂の間」という棋士の勉強部屋にどっかりと座り棋譜を並べている村山の姿があった。後輩棋士や多くの奨励会員に慕われ、誰にも格差なく接している村山の姿があった。
しかし充実していた日々が、突如暗転する。血尿が続いたある日、大学病院で受けた精密検査で、進行性膀胱癌の診断が下る。早急の手術が必要となった。B級へ陥落する。
手術を終え東京のマンションを引き払い、大阪に撤退した村山は、歩くこともままならない体を引きずるように、リーグ戦を戦い抜く。多くの人の好意を借り、A級へと復帰してみせた。
村山がこの世を去ったのは1998年。もう18年の歳月が流れている。亡くなった人はこの世の記憶から消えていくのが必然であり、自然なことだと思うのだが、なぜか村山は消えていかない。多くの人が村山を求めている。その結果なのだと思う。村山が生涯の拠点とした前田アパートはそのままの姿を遺している。大家さんの好意で没後18年たった今も、そのままの形で、訪ねてくる村山ファンには見学させてくれる。
考えてみれば私が生きている村山とともにいた時間は1987年から1998年までの11年間。そして村山は逝き、それから18年が過ぎている。生きて触れ合った時間よりも、もう随分と、失ってからの時間の方が長くなっていることに驚く。
信じられない奇跡のような話がいくつも手を取り合い、村山聖の伝説は今も変わることなく光り輝いている。
文◆大崎善生(おおさき・よしお):1957年生まれ。『将棋世界』編集長を経て、2000年『聖の青春』で新潮学芸賞、2001年『将棋の子』で講談社ノンフィクション賞、2002年『パイロットフィッシュ』で吉川英治文学新人賞をそれぞれ受賞。
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※週刊ポスト2016年11月25日号