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2016.11.26 07:00  NEWSポストセブン

国産囲碁AIに勝利 「僕は腐った鯛」と嘯く趙治勲とは

 趙名誉名人は、あらゆる面でものすごい棋士なのだ。

 史上最多のタイトル獲得数(74)をはじめ、史上初の棋聖・名人・本因坊の三大タイトル独占、前人未到のグランドスラム(七大タイトル制覇)達成、本因坊10連覇など超一流の実績を誇る。

 天才ぶりは子供のころから遺憾なく発揮している。5歳のころにはすでにアマチュア5、6段とアマ強豪の力をつけ、6歳になったばかりの夏に、故郷韓国から来日し、故木谷實九段の内弟子になった。1日でも早い段階から修業を始めることが、棋士として大成するとの考えからだ。

 木谷實九段は、多くの弟子を自宅に住まわせ修業させ、多くのトップ棋士を育てたことでも、囲碁界に大きな影響を残している。ひとつ屋根の下に、兄弟弟子、木谷の家族ら30人近くが生活をしていた。

 木谷九段の三男でプロ修業をともにした経験のある木谷正道さんが、「治勲さんほどの天才はいなかった」というほど、突出した才能を見せていた。

 趙名誉名人は、10歳までにプロになることを期待されていた。それが果たされなかった(11歳9か月でプロ入り、史上最年少記録)ときには自殺も考えたほど、プレッシャーの中で修業をつづけていたのだ。今でこそ東京から韓国は数時間で到着するが、当時の趙名誉名人にとって、韓国と日本の心理的距離はいかほどであっただろうか。

 趙少年が修業時代、「僕は強くなれるかな。名人にならないとお母さんに会えない」と話したことは、妹弟子の小川誠子六段の日記に残っている。そんな子供時代を過ごしたせいか、人の痛みのわかる繊細な心を持っていると、兄弟弟子たちは口を揃える。

 結婚し所帯を持つと、趙名誉名人は内弟子をとり始める。敷地内に内弟子用の部屋を建て、面倒を見た。とくに地方や海外の子供たちに修業の場を作ったのだ。

 師匠は弟子とは2局しか打たない(入門時とプロになった記念かプロを諦めたとき)というのが古来からの伝統(?)の中、趙名誉名人はよく弟子と打ったという。

 弟子たちが独立したあとも、インターネットを介して対局した。「弟子たちを育てることで木谷先生に恩返しができたら」と話していた。このころから、趙名誉名人はコンピュータをよく使うようになったようだ。

 強いコンピュータの出現に、囲碁界は好意的だ。

 強くなるには、強い人に打ってもらうことは欠かせない。一般的に強い人と打ってもらおうとするには、相手のあることでいろいろ制約がある。「コンピュータならいつでも打ってもらえるでしょ。機械は寝ないし疲れたとか言わない。どんどん強くなれる」と趙名誉名人。

 強い相手がいれば、自分ももっと強くなればいい。そんな棋士共通の思いを趙名誉名人が表した。

●文/内藤由起子(囲碁観戦記者)

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