「近況報告から始まり、最近までは家族の介護がテーマでした。だけど、そろそろ自分たちが介護される側になり、老いをどう生きるかが話題になっています。例えば、定年後にボランティアや、ずっと夢だった絵を学んで個展を開く人がいて“えっ、この人が?”っていう発見があります。みんな、とても生き生きしていますよ」
まだ見ぬ未来に、身ひとつで羽ばたいていこうとしていたあの日。今はすべての荷が下り、再び身ひとつで最期に向かっていかに生きるかを考え、日々を送る。それはあの日と同じ、いやそれ以上に特別な色にきらめく時間だろう。人生の酸いも甘いも充分に経験したからこそ感じられる深い味わいで、だからクセになる。それを共有できる仲間がいるというのは、なんという幸せか!
「これまで必死で築いてきた肩書が全部なくなり、もともと何の肩書もなかった学生時代とはまた違った意味で、その人の生きる姿勢そのものを大好きだということができるようになって、互いを認められる関係性がもう一度生まれるんです。ここまでいろんな経験をしてきたのに、人に対して優しくなかったらつまらないですよね。何かを競っても仕方がないことを、私たちは充分学んできたと思うんです。かつての仲間といる瞬間は、年を忘れ、もはや性別も超えた関係です」(落合さん)
増本さんも「残念ながらマドンナはどこにもいません」と苦笑いしながらも、性別を超えた関係を大切にしている。
「同級生には、感謝の気持ちがすごく大きくて、大切だからこそ、関係が壊れるようなことをしたくないんです。私たちの世代は、高度成長期を支え、働き、出世することを良しとする風潮がありました。今思えば、くだらないことに必死で、人の成功を素直に喜べない時期もありました。
でも、すべてをやり終え、ようやく素直になれる時間がやってきたんです。卒業から55年の月日が流れれば、同級生の間に派閥はなく、あるのは同じ教室で学んだという共通項だけ。お互い必死に70年生きてきたことを認め合って、そして最期をいかに楽しむか。もうそれだけなんです」
※女性セブン2017年1月26日号