そんな環境で育てば、宝塚スターを目指すのも不思議はない。しかも、募集人数40人という狭き門も、“強力なコネクション”で突破できるのでは…と思いきや、そうではないようだ。
「松岡さんの長女は昨年も受験していて、2次試験で落ちたようです。でも、宝塚の試験は2度、3度挑戦するのは当たり前で、君島十和子さんの娘さんも2度目の挑戦での合格だったんですよ」(前出・宝塚ファン)
松岡の曾祖父・小林一三は、宝塚歌劇団の機関誌『歌劇』(1934年5月号)にこんなコメントを寄せている。
《宝塚の方針は、努めて公平に、試験の結果その優秀なるものから採用する(中略)阪急の社員の家族だとか在学生の姉妹関係や、密接の親類関係からその家庭を斟しん酌しやくして入学せしむることは、(中略)試験は厳重に審査しているのであるからこの点は十分に信頼してほしいのである》
どうやら創設当時から“コネ入学”は御法度のようだ。かつて松岡はインタビューでこう語っていたことがある。
《僕的には、テニスにはこだわりはなくて、いろいろやってみて、そのなかから自分が好きで打ち込めるものを見つけてほしいな》
前出・松岡家の知人が言う。
「修造さんは熱血一辺倒に見えても、いつも心の中ではどんな指導をすればいいのかと考えている人。“アスリートへの指導と子供への指導はまったく違う”“子供が相手だと冷静さを失ってしまう。だから子供にはテニスを教えない”とよく話していました。修造さんはテニスに熱中しすぎて、一度は親と勘当状態になり、自分は“一族の傍流”という意識がある。娘には宝塚一族の本流としての夢を目指してほしいのではないでしょうか」
意外にも冷静なのだ。
※女性セブン2017年1月26日号