戦後間もない頃に存在した売春街“赤線地帯”。わずか12年という短期間だったが、政府公認の売春街という特異な性質が、現在の性風俗店とは異なる独特な魅力を放っていた。そんな赤線を始めとする全国356か所の売春街を訪ね歩き、徹底取材したガイド本がかつて存在した。『全国女性街ガイド』である。
これだけの地域をたった一人で取材した“色街の伊能忠敬”こと渡辺寛とは何者なのか。調べていくと、赤線ライターとは相容れぬ、意外な経歴や肩書きが次々と明らかになった。売春防止法施行により、赤線と共に出版界から姿を消した幻の作者の足跡を辿った──。
(文中敬称略)
取材・文■窪田順生(ノンフィクションライター)
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『全国女性街ガイド』(以下ガイド)は、膨大な情報量という点で実用的であったが、そこに渡辺の風情のある文章が加わることで、さらに魅力を増した。『ガイド』を出版した季節風書店の親会社である自由国民社の取締役・編集部長の竹内尚志は言う。
「私は渡辺氏と面識はありませんが、弊社では伝説の作家という扱いです。谷崎潤一郎や泉鏡花などエロティシズムを表現した作家は多いが、渡辺氏の“粗にして野だが卑ではない”という在野感が格好いい。短文に各地の風情が描写され、知性やロマンもちりばめられている。その構成力に単なる物書きとは違うセンスを感じます」
実は渡辺は、『ガイド』を世に出す20年前の昭和10年、若き工場労働者たちを描いた『詫びる』という小説で、第一回芥川賞の候補になっていた(受賞者は石川達三)。同じく落選した太宰治が参加した機関誌『日本浪曼派』では、檀一雄、三好達治という錚々たる文豪と名前を並べている。
しかし、当時20代の新進作家だった渡辺は、なぜ女を求めて各地を彷徨い歩く旅に出たのか。その謎を解き明かすには、彼の素顔を知らなくてはいけない。
晩年に自ら書き残した「経歴」によると、渡辺は大正2年、東京・根岸の洋食屋を営む夫婦のもとに生まれた。長男で妹が4人。関東大震災で家を失ったことで生計のため11歳からさまざまな職を転々とした後、電球や万年筆の工場労働者となる。そこで左翼運動に傾倒したようで、手帳には〈オルグ活動。何回もの逮捕・投獄〉という記述がある。その後、自身の姿を投影したかのような小説『詫びる』を上梓。
つまり、渡辺は、小林多喜二が缶詰加工船で働く貧しい労働者を描いた、『蟹工船』に代表されるプロレタリア文学の若き担い手だったのだ。