◆夢みたいな話は描けない体質
とかく見て見ぬふりをされがちな奇行の人ケメ子や、半身不随の身でパチンコ屋に入り浸るミツルの父親。また、〈男偏差値〉10の父のようにはなりたくないと眉唾な通販グッズを購入するタカシもそう。どちらかといえば勝者より敗者に近い足立作品の登場人物が一晩で急成長するわけがない。
「〈各国のスパイの間で大流行〉なんて、誰が考えてもあり得ないXスコープやシークレット靴下に、僕もまんまと騙された口(笑い)。そんな僕には尾崎の『15の夜』はカッコよすぎたし、映画でも主人公が成長しすぎると置いていかれた感があるんですよ。
それこそ本書で自転車を盗まれて走り出すタカシがオッパイを揉んだって、別に世界が変わるわけじゃない。彼がケメ子やミツルを下に見ることも含めて、ふわふわした夢みたいな話は描けない体質なんです」
要するに足立作品には、嘘がない。彼ら4人組の間にも序列は存在するし、不良の金田も暴走族には頭が上がらない。そんな町の上下関係に、あの夜はほんの一瞬、風穴が開き、タカシは大乱闘の中でボコボコにされつつも、メグミのオッパイに触った、らしい。
実は彼自身もよく憶えていないこのシーンや、父親が言う〈お前がかっこ悪いのは〉〈父さんのせいじゃないぞ〉〈お前自身のせいだ〉という台詞など、愛すべきダメ人間たちが一瞬だけ見せる輝きを、足立氏はコミカルかつ嘘のない形で切り取ってみせるのだ。
「正直、こんな小さな話を一々映画にする意味があるのか、今でも自信がないんですよ。もっと大きな嘘や虚構で人を楽しませるのが、本来の映画じゃないかって。
でもできませんでしたね。昔からケン・ローチ監督の『ケス』とか、小さな話が好きだった僕は、中学時代も人一倍臆病で、その臆病さを打破できるのかという不安の方が、オッパイを揉めるかどうかより大問題だった。
つまり本書のオッパイは自分に自信を持つために越えるべき山で、たとえ負けても闘ったり、勝ちたいと思った事実だけで、少なくとも自分は変われるかもしれない。それが、僕が映画や小説で描きたい最大の嘘かもしれません」
映画『スタンド・バイ・ミー』の少年たちは死体を探しに行くが、本書の4人組はAV女優のサイン会に行き、一生忘れられない体験をした──。たったそれだけの話が胸を締め付けるのは、私たちの多くが勝ちたくとも勝てない、〈その他大勢〉だからだろう。現実はそう甘くないからこそ、彼らと共に笑い、泣き、一瞬の勘違いかもしれない勝利を心から祝福できる。それが足立作品最大の魅力だ。
【プロフィール】あだち・しん/1972年鳥取生まれ。日本映画学校卒業後、相米慎二氏に師事。助監督等を経て脚本家に。「でもその後が食えなくて。年収50万稼ぐと妻に威張ってました(笑い)」。2012年「百円の恋」で松田優作賞を受賞し、2014年映画化。日本アカデミー賞最優秀脚本賞や菊島隆三賞、ヨコハマ映画祭脚本賞(『お盆の弟』と併せ)を受賞。2015年には創作テレビドラマ大賞受賞作『佐知とマユ』が市川森一脚本賞を受賞、昨年初小説『乳房に蚊』を上梓。168cm、68kg、O型。
■構成/橋本紀子 ■撮影/国府田利光
※週刊ポスト2017年2月3日号