◆意趣返しを恐れて隠した!?
歴史学者の間では石室が確認されなかった以上、遺体が別の場所に埋葬されている可能性が検討されている。
有力とされている“候補地”は2つある。ひとつは彦根市にある天寧寺。井伊家ゆかりの寺のひとつで、直弼の供養塔もある。
もうひとつは、栃木県佐野市にある天応寺だ。三代将軍家光の時代に井伊家の菩提寺として建立されたこの寺には、井伊家歴代藩主の陵墓がある。
本誌がそれぞれの寺に取材をしてみると、彦根の天寧寺はこう答えた。
「私どもは遺体は豪徳寺に埋まっていると聞いています。この寺に遺体があるのではといわれるのは、直弼の血染めの土や衣類など、遺品が埋められたとされているからだと思います。だが、これは公にはされていません。藩主が跡継ぎを決めぬまま横死した場合、家名断絶させられてしまうため、当時、彦根では桜田門外の変は“なかったこと”にされていたからです。事件が起きたのは3月3日ですが、彦根藩が幕府に提出した直弼の命日は3月28日で、病死したことになっている。つまりこの寺に埋まっているものは“あってはならないもの”なのです」
では、佐野の天応寺はどうか。住職はいう。
「豪徳寺で直弼の遺体が見つからなかったというのは、こちらでも話題になっています。井伊家の菩提寺ではありますが、天応寺に埋められているのは、ご遺髪と、生前にしたためられた直筆の辞世の句が書かれた短冊だけだと言い伝えられています」
どちらの寺も、直弼の遺体は「ここにはない」というのだ。
豪徳寺での調査結果を受け、2011年6月23日付の朝日新聞の記事では別の説についても言及している。襲撃に加わった水戸浪士が水戸に首を持ち帰り、水戸藩主・徳川斉昭の「懇(ねんご)ろにご供養申し上ぐべし」との命により自らの家の墓に葬ったというものだ。現在では水戸市内の妙雲寺に移され埋葬されているという。
「こちらの寺には井伊直弼の首が持ち帰られて埋められたとされています。毎年3月3日に供養もしています」(妙雲寺住職)
だとすると、「首と胴体が縫合された」という話まで否定されることになる。謎は深まるばかりだ。
『井伊直虎と謎の超名門「井伊家」』の著者で歴史学者の八幡和郎氏はこう解説する。
「豪徳寺に直弼の遺体がない可能性は十分に考えられる。暗殺を首謀した水戸藩による直弼の遺体への意趣返しを恐れ、あえて公にしたのとは違う場所に埋葬したのかもしれない」
当の井伊家はどう考えているのか。18代目当主の井伊直岳氏に聞くと、「私としてはコメントする立場にありません」とのこと。謎が多いといわれる井伊家の中でも、最大のミステリーである直弼の遺体の行方。一体真実はどこにあるのだろうか。
※週刊ポスト2017年2月27日号