国家が国民に「一つの信仰」を強制した神仏分離以降、日本人は自分たちがさまざまな宗教に同時にかかわっていることで、“私たちは宗教にいい加減だ”というコンプレックスを持つようになった。その宗教的劣等感は現在まで続いていると島田さんは話す。
昭和の時代になると、天皇を現人神とする「国家神道」の名のもと、日本は戦争への道を突き進んだ。この反省から、戦後になって一転、神道と国家の結びつきは分断され、憲法によって政教分離が確立した。
1950年代後半、高度経済成長が始まると、日本の宗教に変化が起きた。既成宗教が力を失う一方、創価学会、立正佼成会、霊友会、パーフェクトリバティー(PL)教団といった「新宗教」が続々と台頭して、巨大教団への道を歩んでいったのだ。その背景を島田さんが解説する。
「この時代、新宗教は地方から都市に出てきた労働者をターゲットにしました。新宗教の多くは、都会に身寄りがなく、生活や心持ちが不安定な人々に、“信仰しさえすれば豊かになれる”と現世利益を約束するスローガンを投げかけて、人間関係のネットワークを提供することで大幅に信者を増やしました。その一方で農村部は人口が激減し、仏壇や神棚を祀るという伝統的な祭祀が衰退しました」
※女性セブン2017年3月9日号