1854年のペリー来航を契機として、日本の近代化と歩調を合わせるように写真技術は広まった。
10年の歳月をかけ、日本の初期写真を調査・発掘し、幕末から明治30年代に撮影された約370点を展示する展覧会「夜明けまえ 知られざる日本写真開拓史 総集編」(東京都写真美術館)が開催されている。
写真技術の誕生は1839年のフランス。銀の原板に画像を焼き付けた世界初の実用的な写真技術「ダゲレオタイプ」だった。
日本にはその9年後、ペリー来航に遡ること6年前の1848年にもたらされたが、この写真技術は洋学研究の一環として実を結んだわずかな作例を残すにとどめ、一般に普及することはなかった。
日本の地で日本人を撮影した現存する最古の写真は、ペリー来航時に随行していたエリファレット・ブラウン・ジュニアによるものだった。ブラウンの写真は『ペリー日本遠征記』の挿絵となり、日本の姿を西洋社会に伝える貴重な資料となった。
日本での実用的な写真技術の普及は、1851年に英国で生まれたコロディオン湿板が1859年の開国の時期に導入されて以降のことだった。
湿板はガラスを使って撮影するため、画質の高いまま卵白を使った印画紙(鶏卵紙)にプリントすることができた。日本ではこの方式によって写真文化が大きく広まっていった。
1859年に函館や横浜が開港すると、日本人は訪日した外国人から写真技術を学び、職業写真家が誕生した。
江戸・薬研堀(現在の日本橋)で写真館を開業した鵜飼玉川をはじめ、上野彦馬が長崎で、下岡蓮杖が横浜で写真館を開き、肖像写真を中心に本格的に始動した。坂本龍馬や木戸孝允を撮影したことで知られ、日本写真の祖とされる上野らの活動によって、写真の技術と意義が世の中に広まっていった。