そもそも日本国憲法は「すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする」(第26条第2項)と定めている。義務教育ではない高校を無償にするとは書いてない。すでに公立高校は年収910万円未満の世帯を対象に無償化されているが、憲法を厳密に解釈すれば、高校無償化は憲法違反という見方もできるだろう。
このため日本維新の会は「憲法改正による教育無償化」を提唱し、自民党は大学などの教育に関する財政支援に必要な財源を確保するための「教育国債」を検討している。民進党も教育・子育て政策の財源として「子ども国債」の発行を提案している。与野党そろって教育無償化の大合唱だが、全国の大学・短大の授業料は総額3.1兆円に上り、幼児教育からすべて国が負担すれば5兆円規模に膨らむという試算もある。
つまり教育無償化はそう簡単に財源が確保できる政策ではなく、それを唱えるなら確たる理念が必要だ。それもなしに無償化するのは単なる大衆迎合にほかならない。
政治家や官僚は、そもそも何のための教育なのか、義務教育とは何なのか、ということを全く理解していないと思う。その最大の原因は、義務教育がきちんと定義されていないことである。教育基本法第4条に「国民は、その保護する子女に、9年の普通教育を受けさせる義務を負う」「国又は地方公共団体の設置する学校における義務教育については、授業料は、これを徴収しない」と書いてあるだけだ。
学校教育法も「6歳から15歳まで」という年齢以外に具体的なことは定めていない。日本の場合、なぜ6・3・3・4制なのか、公立と私立はどうあるべきか、といったことがさっぱりわからないのだ。
私は、義務教育とは「社会人として独り立ちし、日本国民としての責任を果たせるようにするための教育」だと思う。とすれば、義務教育は小学校・中学校の9年ではなく、高校を卒業する18歳までの12年に延ばし、中学教育と高校教育は重複も多いから6・5制(小学校6年と中高一貫5年)にする。そして残り1年は、お金の借り方・返し方や家庭の持ち方、運転免許など社会人に不可欠な常識をきっちり教え、晴れて18歳で「成人」になる。そこまでを義務教育にして無償化すべきだと思うのである。
※週刊ポスト2017年4月7日号