◆史料のほうが間違い!?
楫取素彦はもともと長州藩士だが、県庁移転問題などで群馬県民に猛反発を受けるなど、「長州と上州(群馬)の因縁は深い」といわれ、今回も萩(長州)と前橋(上州)が正反対の見解だ。
前橋市で調査を担当した近現代史研究者で市参事の手島仁氏は、本誌の直撃にこう応じた。
「短刀は出所もはっきりしていて、総合的に本物と判断した。ハル氏は銘が〈国富〉だったと書いているが、50年も前に見た記憶を辿っての記述です。実際は〈国益〉だったのを〈国富〉と勘違いしたのではないか。長さは目分量だから“35センチぐらい”の範囲内でしょう」
と、“総合的な判断”の適切さを強調する。昨年8月には短刀を手渡す場面を再現した銅像が前橋公園に設置された。その経緯を考えても、結論ありきの調査という印象は拭えない。萩市では同じ短刀の展示が見送られたことを問うと、手島氏はこう答えた。
「もちろん〈国富〉(と刻まれた短刀)が出れば一番いいが、我々は史料との違いも含めて展示している。文献と完全な一致はしなかったので、1年ほどかけて全国各地で見ていただき、結果的にハル氏の誤記だという納得が得られればいい」
とはいえ前橋市の公表資料には萩市が本物と判断しなかった経緯の記述はなく、報道などで“本物認定”は既成事実化されつつある。
「至誠」を説いた吉田松陰は、こんな現状をどう評すだろうか。
※週刊ポスト2017年4月28日号