新たに始まる「道徳の教科化」でも、安倍政権の意向を色濃く反映する状況になっている。たとえば、文科省の教科書検定で小学校1年の道徳の教科書では「パン屋」が「和菓子屋」に、「アスレチック公園」が「和楽器店」に差し替えられた。
これに対して全国のパン屋が猛反発するなど批判が相次ぎ、文科省側は「パン屋が悪いわけではない」「個別の記述の変更はあくまでも教科書会社の判断」と説明したと報じられている。
要は、文科省が学習指導要領の「我が国や郷土の文化と生活に親しみ、愛着を持つ」という項目に照らして教科書全体が不適切と指摘し、教科書会社が不適切と思われる個所を自主的な判断で修正したわけだが、具体的な修正個所を明示されなければ、教科書会社はその意図を忖度するしかない。文科省は安倍政権の意向を忖度して検定意見を付け、教科書会社はそれを忖度して修正する──。いわば“忖度の連鎖”である。
小中学校の学習指導要領の改定をめぐるドタバタ劇も同様だ。当初、「聖徳太子」は中学校で「厩戸王(聖徳太子)」の表記に変更された。歴史学では「厩戸王」が一般的で「聖徳太子」は没後の称号だから、という理屈だが、それなら歴代天皇はすべて生前の正式な呼称にしなければならなくなる。
また「鎖国」は「江戸幕府の対外政策」に変更されたが、こちらは江戸時代も外国との交流を断絶したわけではなく長崎や対馬などで貿易を続けていたから、という理由だった。だが「対外政策」だけでは海外交流や渡航を制限されていた当時の事情が全く伝わらない。