──中学生のときにDJデビュー、東京藝術大学出身など、肩書きだけきくと順調に歩んでいるようにみえます。
アボ:子供の頃からずっと、学校では浮いた存在でした。小学生の時に録音したラジオ番組「電気グルーヴのオールナイトニッポン」をきっかけにDJになりたいと思ってから、同級生たちより音楽を聴いている自負があって詳しかったのですが、ちっとも話が合わない。たとえば中学生のとき、ヒットしていたT.M.Revolutionの曲の話題になったので「ドラムの裏で鳴っているスネアの音色、ちょっとひずませたのがかっこいいよね」と続けたら、会話が途切れてしまう。何事もこんな調子で学校には居場所が見つけられませんでした。
──思春期に学校で居づらくなると、行き場がなくなりますね。
アボ:好きなものが人と違うし、何かの話題を向けられたときの受け止め方や反応の仕方が相手の予想通りではなかったため、すごく笑われたり悪意だと誤解されたりということが続きました。同じ日本語を話しているのに、コミュニケーションがうまくとれないんです。僕は小さな頃から発達障害の特性があったのですが、子供の頃は自分自身をコントロールするのが難しく、自分にとっても、もちろん周囲の人にも苦労が絶えませんでした。
──アスペルガー症候群など発達障害の人たちは、テクニックとしてコミュニケーション方法を身につけていくと聞きます。
アボ:人が会話をするときは、反射的に忖度しあっているんだと思います。でも、僕の場合は忖度が難しいので、ものすごい早さでロジックを回し、チューニングしながら話す技術を身につけました。おかげで、今では一見、普通に会話が成り立ちます。でも、それを「治ったんだね」と言われるのは心外です。技術を覚えているだけで、治ったわけではないです。そもそも、僕とあなたが違うということは、違うということに関しては双方向で同じはずなのに、必ず片方だけが歩みよることを求められるのも、本来はひどい話だと思っています。「治ったんだね」と言う側の人がこちらに歩みよってくることはほとんど無いんですよね(笑)。
──どうしてもマジョリティ側にマイノリティがあわせることになりますね。
アボ:本当はマジョリティというのは幻想で、基本的にはマイノリティの集合体でしかないはずです。でも、マジョリティ側にみずからを置けば、人は安心できる。ただし、それによって本当はもっと複雑な情報をもった個という存在、情報がそぎ落とされてしまう。すごくもったいないことが起きています。マジョリティにあわせた秩序を求められる世の中だけれど、違いを認めあう、いい距離感で一緒の空間にいられる開かれた場は必要です。それで、街の中でブロックパーティを始めました。