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歴史上の偉人たち「まさかの素顔」まとめ by NEWSポストセブン

英雄たちの知られざる「まさかの素顔」

 歴史上の人物について私たちが持つイメージは、往々にして学校で習った内容や、小説やテレビドラマなどで描かれる姿そのものだったりする。一方、歴史研究の世界では新たな史料が発見され、これまでの“常識”が覆ることがある。英雄たちの知られざる「まさかの素顔」を探った。(2017年5月13日更新)

千利休

死んだはずの利休が秀吉にお茶を点てた?(AFLO)

定説は秀吉の怒りに触れ自害

 千利休は堺の豪商出身で、それまでの豪華な茶の湯に対し簡素の境地を目指した「侘び茶」を大成した。信長・秀吉に仕えたが、京・大徳寺の山門上に自分の木像を置いたことが秀吉の怒りに触れ、自害を強いられたとされている。しかし、その定説を覆す説も登場。文教大学教授の中村修也氏が指摘する。

切腹せずに九州に逃げていた?

 利休が切腹したとされる翌年の文禄元年(1592年)、九州に滞在中の秀吉は、大坂城の母(大政所)へ宛て次のような書状を書いている。「……私は一段と元気です。昨日も利休の茶を飲んで、食事もすすみ、とても愉快で気分が良かったのです」。前年に切腹を命じたはずの本人が、利休のお茶を飲んだというのだ

明智光秀

明智光秀画像[伝](東京大学史料編纂所所蔵模写)

「本能寺の変」の動機は謎で諸説ある

 明智光秀が主君・織田信長を討った「本能寺の変」。光秀が謀叛を起こした動機は謎で、「怨恨説」「義憤説」「野望説」など諸説ある。歴史作家の桐野作人氏が光秀の実像について指摘する。

カツラの恨みで決意したという説

 信長の家臣・稲葉一鉄の子孫らが書き残した『稲葉家譜』。そこには光秀を「本能寺の変」へと駆り立てた動機が明記されている。その現代語訳は次の通り。「……信長は光秀が法に背いたのを怒って呼びつけると、譴責してみずから光秀の頭を二、三度叩いた。光秀は髪が薄かったのでいつも附髪を用いていたが、このときそれが打ち落とされたので、光秀は信長の仕打ちを深く恨んだ。謀叛の原因はここに起因する……」。光秀は附髪=カツラを落とされたことを恨んで信長を討ったというのだ。

豊臣秀吉

人たらしだった秀吉(東京大学史料編纂所所蔵模写)

気配りで人を魅了する魅力的なイメージ

 農民から天下人へと登り詰めた戦国時代一の出世者・豊臣秀吉。信長の草履を懐で暖めたという逸話にはじまり、竹中半兵衛ら有能な武将たちを魅了した、気配りと人たらしの魅力的な人物像が一般に伝えられる秀吉のイメージだろう。東京大学史料編纂所助教の村井祐樹氏は「素顔」についてこう指摘する。

ネチネチしつこい中小企業のワンマン社長的だった

 新たに見つかった書状は、功臣「賤ヶ岳の七本槍」のひとりに数えられる、秀吉子飼いの武将・脇坂安治に宛てたものだ。安治は、京都御所用の材木の出荷管理の担当を命じられていた。秀吉は書状でことあるごとに安治に材木をきちんと出すように命じていた。秀吉は日本を統べる天下人でありながら、実は、他人に仕事を任せきれず業務の全てを自分で管理したがるネチネチとした性格の中小企業のワンマン社長のような人物だったことが今回の発見でわかったのだ。

井伊直虎

『おんな城主 直虎』公式HPより

大河ドラマ放送に伴い「直虎別人男性説」が浮上

 徳川時代、譜代筆頭として代々幕府の重要な役職を担った井伊家。戦国時代には、男性当主が死に絶え滅亡の危機に瀕した。その時、井伊直虎は、女性でありながら家と領地を守り抜き、まだ幼かった24代当主・井伊直政を養育したと伝わる。大河ドラマ放送に伴い「直虎別人男性説」が浮上、大きく報じられた。静岡大学名誉教授の小和田哲男氏が指摘する。

「別人男性説」の史料に異議あり

 井伊美術館館長の井伊達夫氏が発見した『雑秘説写記』という史料。その中で、今川氏の家臣で井伊家の目付役として派遣された関口氏経の息子が「井伊次郎」を名乗ったと記されているのだ。男性説は、この史料の「井伊次郎」こそが実は直虎ではなかったか、とする説である。しかし私は、その新説について懐疑的に見ている。

徳川家康

関ヶ原で勝てたのも壬申の乱にあやかったおかげ?(アフロ)

老獪な策士イメージ

 徳川家康は信長、秀吉に次いで天下を統一し、その後260年余続く江戸幕府の礎を築いた。織田家や今川家の人質となりながら戦国の世を生き抜き、天下人へと成り上がった。敵対する勢力に謀略や政治闘争を仕掛ける策士としてのイメージが強いが、前衆議院議員の村上政俊氏が「素顔」について指摘する。

「験担ぎが大好き」だった

 家康は桃配山に布陣し大馬印を高々と掲げさせたが、何を隠そうこの地が縁起のいいところだった。畿内から東国に抜ける関ヶ原一帯は戦略上の要衝で古代は不破の関が置かれた。そして古代最大の内乱である壬申の乱の勝者大海人皇子が陣取ったのが桃配山だったのだ。皇子が山桃を兵に配って慰労したというエピソードが地名の由来となっている。

宮本武蔵

武蔵は「島原の乱」出陣で負傷していた(首藤光一/AFLO)

60戦以上を無敗だったとされる

 宮本武蔵は江戸時代初めに活躍した剣術家。青年期に各地を遍歴して腕を磨き、「二刀流」を編み出した。生涯で60戦以上を闘い無敗だったとされる。晩年は熊本・細川藩に客分として仕えたとされるが東京大学史料編纂所教授の山本博文氏は武蔵に「敗北」があったのではと指摘する。

一揆衆の「投石作戦」に完敗

 養子・伊織と共に出陣したとされる「島原の乱」(1637年)。その鎮圧に際し、有馬直純の武功に関する記録を後日談も含めて保存した『有馬家文書』の中に、一揆鎮圧直後、有馬直純への返書として武蔵が書いた書状がある。「敵の落とした石に当たって、脛も立てないでいる」と書かれ、戦で負傷したことがわかる。名うての剣豪であっても一揆衆の“投石作戦”の前では今ひとつ腕を振るうことが叶わなかったようだ。

長谷川平蔵

銭相場で大儲け(アフロ)

『鬼平犯科帳』のイメージ

 江戸時代・火付盗賊改方の長である「長谷川平蔵」とは実在する旗本の歴代の名称。「鬼平」こと長谷川平蔵は二代目の宣以(のぶため)を指す。池波正太郎『鬼平犯科帳』の主人公について歴史家・安藤優一郎氏が明らかにする「まさかの素顔」とは。

「鬼平」は財テクの鬼でもあった

 資金不足の人足寄場の運営に持ち出しを余儀なくされるなど平蔵の家計は借金まみれだった。そこで平蔵はもうひとつの顔を覗かせる。それは財テク投資家としての鬼平だ。平蔵は銭相場に手を出した。幕府から金3000両(現在の貨幣価値で約3億円)を借り受け、銭貨を買い上げた。これにより、銭相場が高騰するとすぐさま売り払い、得た利ザヤを寄場の運営資金に充てることに成功した。

勝海舟

黒船来航が岐路となった(Glasshouse Images/AFLO)

「先見の明」で日本の近代化に貢献した

 明治維新を彩る主役の一人・勝海舟は咸臨丸でアメリカに渡り、帰国後は軍艦奉行となり神戸海軍操練所を設立、日本海軍の生みの親とも称される。広い視野を持ち海外の知見をいち早く取り入れ、明治政府でも要職に就いたとされるが、作家・夏池優一氏は勝の意外な姿を指摘する。

出世作はコピペとリライトで作られた

 オランダ語を習得し、アメリカに行くなど、「先見の明」で日本の近代化に貢献した勝海舟。その海舟の出世のきっかけは代表作『海防意見書』の提出にある。7年後に咸臨丸でアメリカに渡るきっかけを作り“進歩人”のイメージを決定づけたこの意見書だが、その内容はある書物を“コピペ”したとの疑惑がある。それは海舟を支援した豪商・竹川竹斎が著した『護国論』である。

福沢諭吉

福澤諭吉は幼少の頃から酒好き(東京大学史料編纂所所蔵)

『学問のすゝめ』を書いた偉人

 一万円札の肖像で知られる福澤諭吉は幕末から明治にかけて活躍した啓蒙思想家。蘭学者・緒方洪庵の「適塾」で学び、3回の欧米視察を果たした。慶応4年(1868年)、「慶應義塾」を創設。『学問のすゝめ』が有名だが、一体どんな人物だったのか。明治大学教授の齋藤隆氏はこう指摘する。

『学問のすゝめ』より呑兵衛のすゝめ

 江戸末期に豊前中津藩の武家に生まれた福澤は、その自伝(『福翁自伝』)によると、幼少の頃から神仏などを一切信じず、神社の御神体を暴いて平気でいるなど、気質としてそもそも開明的な人物でした。同書では、「生まれつき酒を嗜むのが一大欠点」と告白しています。「物心ついたときから自然に好き」だったと。

野口英世

野口英世の素顔は「放蕩人」だった(AP/AFLO)

「努力の人」というイメージ

 偉人の伝記にも数多く登場する野口英世は福島県の貧しい家庭に生まれ、左手に障害を持ちながらも医学を志し、伝染病の研究に生涯を捧げた。「努力だ、勉強だ、それが天才だ」という言葉が有名。2004年より千円札の肖像になっているが、作家・星亮一氏は「まさかの素顔」を明らかにする。

遊郭入り浸り 留学費用で放蕩三昧

 素顔の英世は生粋の「放蕩人」だった。福島県の農家に生まれた英世は幼少時、囲炉裏に落ちて大火傷を負い、以降は劣等感に苛まれた。負い目をパワーに変えて医学の道に邁進する一方、金が入ると酒をあおり、遊廓で豪遊して朝帰りを重ね、金欠になると借金を繰り返した。

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