有森にとっては不本意だったが、両親は離婚していないし、喪主はあくまで父。しかも神社の宮司だ。結局、母の葬儀は佐賀で執り行うことになった。そして参列した葬儀で、有森は思いがけない光景を目の当たりにした。父が選んだ遺影は、母が30才くらいの時のものだったのだ──。
「母は9年ほど闘病していますから、私にとっての母は、闘病中の印象が強くて、だから正直、『えっ?』と思ったんです。でも父は『おれの知っている久子はこれだ』って言うんです。父は、家族のなかの母というより、妻としての母を大切にしていたのかなと思いました。母はおしゃれな人でしたから、最期に父に会いたがらなかったのも、いちばん幸せではつらつとした時期を、父の記憶にとどめてほしいと思っていたのかもしれないし、父もそうだったのかもしれない」
母の遺品の片づけには1年半もかかった。ある日、その遺品の中に父と母のラブレターを見つけた。
「消印を見ると、2日おきにやりとりをしていたことがわかり、こういう愛もあるんだな、って。私に隠れて、父が母に会いに来ていたこともあったようです。距離があってはじめて続けられた家族だったのかなと今は思えるかな」
娘としては少し寂しいですけどね──寂しそうな笑顔を浮かべてそう付け加えた。
撮影/村上雅裕
※女性セブン2017年6月1日号