「指導教授はとてもいい方で、『これからは年に一度、論文を書いて見せに来なさい』という遠回しな言い方で、日本へ帰ることを許してくれました。書いたものが先生の水準に達しなかったんでしょうね。学問に生涯を捧げる覚悟がないことを見抜かれていたのかもしれません」
日本に戻って30過ぎて書き始めたのがミステリー小説だった。王姓の本名で福岡で中国語を教えつつ、警察で中国系密航者の取り調べ通訳のアルバイトもやりながら、「東山彰良」として物を書く。小説家としてヒット漫画のノベライズの仕事も「断る余地はなかった」と引き受け、技量を高めながら作品を出し続けた。
「サラリーマンから逃げて、学問の世界に逃げこんだ。学問でもものにならず、また逃げて。逃げるたびに状況が悪くなる。食っていけない。小説でデビューしたとき、石にかじりついてもやるんだぞと考えました」
東山と彼の父親である王孝廉(※注)の関係は、サラリーマンを経験するまでは疎遠だった。「反抗期のようなものだったんでしょう。でも、社会に出てからぐっと距離が縮まった」。『流』の物語の骨格は、王孝廉からの聞き取りで形成した。受賞したとき、台湾の友人に王孝廉は「読んでいて、気持ちのいい作品だ」と感想を伝えている。
【注/王孝廉は1942年生まれ。山東省昌邑県出身。東海大学(台湾)を卒業し、広島大学に留学。のちに西南学院大学で教える。作品は『廣陵散記』(1974)、『中國的神話與傳説』(1977)、『花與花神』『神話與小説』『春帆依舊在』(1980)、『彼岸』(1985)、『長河落日』(1986)、『漁問』(1987)など多数。文学に関する研究論文も数多く、神話研究、散文、詩、短編小説の各領域で広い人気を集めた】