「兄弟分の世界、ぼくはそこにあこがれがある。『義気(義理人情)』や『侠気』という考え方があり、それを重視するのが正しいと考える家系だと思いますね。父親もそうですし、ぼくもそうです」
中国語に翻訳され、台湾で出版された『流』は、台湾でも一定のヒットにはなったが、日本ほどの反響を呼んでいない。背後には、台湾社会がすでに相当程度、脱中国化しているからではないかと、私には思える。むしろ、東山文学は「江湖」の価値観を多少は残す中国大陸や日本に、裾野を広げるものかもしれない。
戦後日本では台湾にルーツを持つ作家が活躍した。そのこと自体が日本と台湾の精神的なつながりを示しているのだが、代表格である邱永漢や陳舜臣は、くしくも東山と同じ直木賞を受賞して世に出ている。ただ、東山の作品はこの先達者2人とも大きく異なっており、それもまた、台湾社会の重層的な多様性を物語るものだ。
日本統治下の台湾人エリートである邱永漢の作品には、日本にも中国にも失望する喪失感が原点にある。移民の子である陳舜臣の作品は、伝統的な中国世界を理想化する華僑的な価値観に溢れている。
一方、東山の作品世界は、表社会と裏社会のはざまで生き生きと命を燃焼する大陸的アウトローたちのハードボイルド活劇だ。そして、王一族三代の百年にわたる日中台漂流史の結晶なのである。
【著者プロフィール】野嶋剛●1968年生まれ。上智大学新聞学科卒。在学中に香港中文大学・台湾師範大学に留学。1992年朝日新聞社入社後、2001年からシンガポール支局長。その間、アフガン・イラク戦争の従軍取材を経験。政治部、台北支局長、AERA編集部などを経て、2016年4月からフリーに。主な著書に『ふたつの故宮博物院』『台湾とは何か』。
※SAPIO2017年6月号