あの日徳島の相撲場で、一番強い選手を決めるために二人が戦っているのを朝青龍は土俵下から見上げていた。なぜ土俵で戦っているのは自分ではなかったのか。自分に勝った内田、内田に勝った磯部の強さを、体感して納得したかった。でも磯部の強さを上回る自信が今はある。
子供のようにささいなことに固執するのが、朝青龍らしさだ。最強の男としていつか埋めたい穴だった。だから、磋牙司が十両に昇進した際には、その日が着々と近づいていると感じうれしくなったのだと思う。
二〇一〇年一月場所、磋牙司は西十両筆頭で九勝。新入幕が確定した。第二検査での入門者の入幕は、豊ノ島に続く二人目。一六〇センチと少ししかなくても出世できるという手本として、現在の石浦や宇良の活躍につながっていると思う。
しかし「磯部さん、長らくお待ちしてましたよ」と新入幕の磋牙司をうやうやしく手揉みでむかえる余裕は、朝青龍にはなかった。二月四日、突然の引退。対戦相手の胸とお腹にあて続けて頭髪が擦り切れている磋牙司は、今も土俵で戦っている。結局ダシバドリは、磯部に一勝もしていない。
※週刊ポスト2017年6月16日号