機体は1942年に製造され、パプアニューギニアのジャングルで戦後30年近く野ざらしにされていた「零式艦上戦闘機22型」。1970年代にアメリカの調査団が発見・回収し、1980年代末までサンタモニカ航空博物館に展示されていたが、1990年代に入りロシアで修復が開始され、8年の歳月、延べ38万時間をかけて飛行可能な状態になった。
「2008年に数人の有志と『里帰りプロジェクト』を立ち上げ、所有者だったアメリカ人のコレクターと売買契約を結びましたが、リーマンショックの影響で頓挫。結局、私個人が3億5000万円で機体を購入しました。自宅を売り、牧場やヨットも処分し、妻とも別れることになりました」(石塚氏)
その後も苦難の連続だった。直後の2010年にニュージーランドで大地震が発生し、石塚氏の経営するアパレル工場は大きな被害を受ける。翌2011年には、東日本大震災とその後の原発事故によって、「里帰りプロジェクト」に協力していた企業やテレビ局が一斉に引き上げた。
それでも石塚氏は諦めなかった。不屈の信念が実り、日本で機体の展示にこぎ着けたのが2014年。6月に機体をシアトルから船で運ぶことになったが、日米両国政府から武器輸出入の可能性を指摘され、日本に入国できたのは10月末だった。