加えて、輸入消費税2000万円の支払いを求められるなど、不測の事態が続いた。莫大な私費を投じてまで実現にこだわった石塚氏を駆り立てるものは何なのか。
「長く海外に住み、仕事で世界80か国くらい回っていると、日本が普通の国とは違うのではないかと感じます。どの国の人々も祖国に絶対的な誇りを持っていますが、日本人はどこか距離を置いて身構えているような気がします。私は日本人に、誇りの象徴として零戦を見てもらいたいのです」(石塚氏)
展示だけとはいえ日本への里帰りを果たした石塚氏は、日本の空で飛ぶという次なる目標に向けて動き始めた。しかし、アメリカの航空局からライセンスを受けたこの機体は、日本で飛ぶためにはアメリカ政府の飛行許可申請が必要だった。
「何百枚もの申請書類を提出してやっと承認され、1年半後の2016年1月27日に鹿児島で初飛行が実現しました。ただ、パイロットはアメリカ人だったので、日本人パイロットでの飛行が次の目標になりました」(石塚氏)
白羽の矢が立ったのは、5年前から整備士としてプロジェクトに関わってきたロサンゼルス在住の柳田一昭氏(66)。